毎日、写真の言語化をしている。
これは、わたしが参加しているカメラ講座・ゼミの課題。
何時ごろ、どの季節に、どんな天気の時に、
どういう構図で、どんな副題があって、
どの焦点距離のレンズで、
f値・SS(シャッタースピード)・ISO感度はどれくらいで、
どんなポーズの指示があって、撮影されたものなのか。
1枚の写真と向き合いながら、分析している。
最初は難しかった。全然わからなかった。
けれど、先輩たちのものを見ていくうちに、
どういう写真でどういう設定だと判断しているのか、
大体のデータがそろってきた。
それ通りに当てはめていけばいいことがわかった。
基本があって、
時と場合によって少し変更すればいいと理解できた。
そのうちに、やればやるほど楽しくなってきた。
間違えることもあるけれど、
講師の方が丁寧に教えてくださる。
ポーズの指示(ディレクション)や展開についても、
しっかり読んで、「いいね!」と言ってくれる。
褒めてくれること、ちゃんと付き添ってくれることは、
わたしにとってこうかばつぐん。
やる気がどんどんみなぎる。
講師の方との相性、いいかもしれないなぁ。
カメラ仲間が先日、外で撮影をしたと報告してくれた。
ピント合わせが難しいらしい。
講師の方が
「外でピントの合わせる練習をどんどんしていこう!」
とコメントしていたのを読んで、涙がこみ上げてきた。
このカメラ講座では
カップルフォト・フレンドフォトを撮影するよう言われていて、
「人物の写真を撮らなきゃいけない!」と思い過ぎていた。
だから、被写体さんがいなくても、
鳥や花や建物を撮影することも練習になるのだと気づいて、
もっとカメラに触ってもいいんだとわかって、
うれしかった。うれしくて、思わず目が潤んだ。
うれし涙が出るほど、
自分がカメラを好きだったなんて、知らなかった。
「もっともっと撮影したい、上手くなりたい」
そういう想いが、強い想いが、
自分の中にあることを初めて知った。
フォトグラファーを目指すことを想像していなくて、
今でもフォトグラファーになっている自分を想像できなくて、
道を間違えたのではないか?と、不安に思うこともある。
でも、
「ここで挑戦しなかったらきっと後悔する」
そう感じたことは、確かだ。
先が見えないことは怖いけれど、
その怖さで動けなくなるくらいなら、
そっと毛布を被せて、見えなくして、
目の前の楽しんでいる自分だけを感じていたい。
そしていつか毛布をとった時に、
雪のように解けて見えなくなっていた...
そんな展開を願って。