世の中の人はざっくり、創作をする人間と、しない人間に分けられる。と思っている。
二元論で分けるほど世の中は単純じゃないので、こういうのは懐疑的なタイプではあるのだが、そんな私でも、これだけはずっと思っている。
これで言いたいことは創作している側の人間のほうが偉いとか、優れているとかではない。
私は創作をするほうではあるし、仕事もそういうジャンルに従事している。
だが、創作を続けているモチベーションはある種の懺悔のような気持ちが大きい。
つまり、私は心の底から創作をしたいと思っていない気がしている。
世の中に誰も作っていないから俺が作るんだ、または、作ることは楽しい、生きがいだ、と思って創作している人がいる。
私はそういった純粋なモチベーションを持つ人に嫌われたくなくて創作している気がする。
創作を楽しんでいる人を心から尊敬しており、そういった人が作る素晴らしい作品に幾度と心を奪われてきた。
そういった人とできることなら、同じ価値観を共有したいし、自分もそちら側の人間になりたいと思う。
そんな邪(よこしま)な気持ちが混じっているからか、創作に時間を当てられてない自分に直面すると、純粋に創作している方たちから、こう囁かれている気がする。
「君はこっち側じゃないんだから、無理して頑張らなくていいよ。一般人らしく、大衆向けに作られた娯楽に、身をうずめて死ぬまで楽しんでいていいよ」って。
集団心理なのだろうか、たとえそこが地獄だろうと、自分が身を置きたいコミュニティの輪に入れないほうがよっぽど息苦しく感じるのは。
楽しいって漢字と、楽をするって漢字が一緒だからか、私はそれらが創作から逃げているように思えて、素直に享受しがたい。
ひねくれている。
創作は苦しい。できない自分を一番近い距離で見つめなくてはいけない。
今が幸せだとしたら、創作をサボっている証拠なんだろうなと思うときもある。
別に義務でもないのに。ある種の信仰のような、宗教のような。
どうか仲間はずれにはしないでくださいと祈りながら、また創作をする。