お金との距離が最近遠く感じている。それは金欠という意味ではなく(お金が潤沢にないのはその通りなのだが)、今マネーフォワードに記録されている数字の集まりが、どこか他人事に思えるというものである。
仕事はお金を得るためにやっているのだが、別にいちいち自分の働きを時給で換算したりしない。毎日電車に乗って会社に行く。そしたら不思議なことに毎月決まった日にお金が振り込まれている。そのくらいの距離感。
それは仕事が楽しいというのもある。映像デザイナーとしてAfter Effectsをポチポチしているのがただただ気持ちよい。
お金は潤沢にないのだが、私の基準で満足いく生活は送れている。また、もとから買いたいものは買いたいときに買う性分なので、いま、本当にほしいものはほとんどない(なぜなら様々な欲しい物はすでに買ってしまっているため)。買いたいものといえば、5~6年前に買ったApple製品などのバッテリーがヘタってきて、買い替えたいというくらいである。ただ、ガジェットの買い替えは何十万とかかる割には人生を変革させるほどの感動はない。ちょっと動作がキビキビしてきたなと思うだけである。なので、いつ買ってもよいし、なんならバッテリーを変えるだけでも良い。
買いたいものがなくなってくると今度は親しい人へのプレゼントとして他人に何かを買ってあげたくなる気持ちが芽生えてきた。実家に帰省したときに手土産を買うのも習慣になってきたし、2000円くらいのちょっと気の利いたものを友だちとかに気まぐれでプレゼントしたりもする。
そこには単純に今までありがとう的な感謝の気持ちがあるし、ちょっとだんだん会う頻度が年に数回とか疎遠になってきてしまうおそれがあるので、せっかくたくさんある人の中から自分と会う時間を作ってくれてありがたいという、その時の感謝の気持ちもある。あと他人の事を考えながらする買い物や、あげたときの反応、その人に与える影響、それらを想像すると単純に私自身が楽しいというのもある。
そうなっていくと、私の通帳の残高は誰のお金なのだろうか。たぶん会社に計上されているお金ってこのような感じなのだろう。「株式会社わたしの幸福」というところに計上される残高。私は私の幸福が最大化されるように投資を行っていく経営者。そのお金は私のものではなく、その会社の燃料にすぎない。私もまた歯車の一つとして幸福の奴隷となっている。最近のお金はそういうふうに思うのである。