脳みそが1つしかないということをよく考えている。
例えばAということとBということは同時にはできないので、A→BまたはB→Aという処理をする必要があるということだ。
しかし、実はこの矢印(→)をいくらでも伸ばしてよいと気がついた。AとBが発生したとき、Aをやって、Bをやるまで1年あいだが空いてもよい。なぜか以前の自分はAとBが降り掛かってきたとき、すぐに解決しようとしすぎていた。そのため日常は常に解決に追われるようになっていた。
解決は好きなタイミングでいい。LINEはすぐに返さなくていいし、掃除は暇なときにすればいいし、料理も無理に作らないで出来合いのものを買ってきてもよい。勉強も創作もやらなきゃいけないものも、それらは私の脳みそを離れて、中空に浮かぶ。
それらは一石二鳥以上を狙えるタイミングまで中空に置いておく。複数の抱えているタスクを一網打尽にやれるタイミングまで抱えておけば、効率よく対処できる。
これは別に効率よくやりたいためではなく、大切なことを確実にやるためにあえてやらないのだ。よく寝ること、本を読むこと、お風呂に入ること(シャワーではなく!)、親しい人と時間を過ごすこと。これらは本当はとても大切なことで、でも大人になって、技術も発展して、物事が複雑になってしまったから、これらが大切だったことなんて忘れてしまう。
仕事なんて寝ることに比べればおまけのようなものなのに、同調圧力か、生活を人質に取られているのかわからないが、どんどん人生の重要性が上がっている感覚に陥る。
やはり全体的に焦りすぎている。私がそうだ。もっと雑に物事を中空に浮かべて、気分がのったときにつまみ食いするような態度を持っておきたい。
中空に浮かべる理由は脳みそに入れるとそのことばかり考えてしまって、やってもやらなくても意識を持ってかれて、気疲れしてしまうからだ。
で、タスクを中空に浮かべておく具体的なやり方は、何かを思いついたら、スマホ、パソコン両方で見られるTODOアプリのようなものに放り投げておく。そして(期限がなければ)やりたいときにやる。以上という感じだ。
私はnuというソフトを使っているが、まあなんだっていい。とにかく頭の中を空っぽにしておければよいので、出先でも、家でも手軽にアクセスが可能だとよい。とか思っていたら、ちょうどサ終の案内来て死んだ。しょうがないので、老舗todoソフトのtodoistを使ってみたが、だいぶよい。普通に乗り換えた。
脳みそを空っぽにしつつも、獲物を狙うハンターのように、プカプカと生きていきたい。