完璧すぎた令和ロマン
第45回ABCお笑いグランプリ2024をみた。楽しかった。
なにより令和ロマンの1本目「猫の島」が神がかっいた!審査員にも評されていたが、もう何をしてもウケる舞台さばきの力と、ネタの仕上がりが合わさって無双状態と言っても過言じゃなかった。「これで令和ロマンを1位にしない審査員は、目立ちたがりの逆張り野郎だ」とすら思っていた。
そんな令和ロマンは無事グループステージを突破してファイナルステージに進出したのだが、審査員のう大だけは彼らに低評価だった。いわく、ネタは完璧だったが、本人たちの中で楽をしているのではないか、もっとハイレベルの挑戦ができるのではないかということだった。
言われてみればたしかに、1本目のネタは期待値を超えてはいたものの、彼らならさらに異次元のものをできるのではないかというワクワク感はあった。だが、そのワクワクは一体どこから来ているのか、その正体がよく分からないまま大会は終わってしまった。もちろん令和ロマンの優勝で。そこで改めてその正体を探求していこうと思う。
走れケムリ
一般的に令和ロマンの強みは、ボケである高比良くるまの高水準の表現力や舞台さばきと、ツッコミである松井ケムリの安定感のあるボケのさばきにあると説明される。舞台上で自由に世界を展開するくるまに観客は引き寄せられ、ケムリが時には観客の代表者のようにツッコミ、時には神と民を結ぶ預言者のように補足ツッコミを行う。このような特徴をベースに現在の令和ロマンを捉えた時、本大会の1本目のネタはネオ・令和ロマンの発芽とみることができる。
その可能性が顕在化したのは、普段あまり動かずツッコミをする松井ケムリがコント世界の中で追跡者から逃げるため走るくだりからである。ネタの盛り上がりという文脈でも、あのくだりからパワーアップした令和ロマンを見せつけられたという感じだった。それはいうなれば、これまで令和ロマンで主流だった高比良くるまという身体を中心に笑いを起こす「お笑い地動説」から、令和ロマンの二人が描く世界の全体図で笑いを起こす「お笑い天動説」へのコペルニクス的転回である。
この可能性を「走るケムリ」という点で深掘ってみたい。そもそも去年のM-1予選の「100m走」のネタでもケムリは走っていた。話半分にコントに乗っかってちょこまか動くケムリ自体が冷静に面白い。
今回の「猫の島」は「100m走」に比べて、コントの展開の中で突如走らされる突発性と、よりそのコミカルさが強調される二次元的な描写によって、観客の焦点はくるま単独からよりボヤける。その結果二次元的に走るケムリとくるまを1枚絵に捉えさせた。
ここでケムリという個性がもつ温和で楽観的に災難に巻き込まれる三枚目感との相乗効果によって、ケムリにやや視線の比重を起きつつも、くるまとの距離感や、やり取りによる全体的な面白みを見させることに成功しているように思える。
昨年のM-1優勝時にも、このような笑いを模索する兆候はあった。だがあまり大きな笑いには結びつかなかった。それはたとえば、1本目「少女漫画」において、ケムリがツッコミとして取ったポーズをくるまがすしざんまいのポーズだと対象化したくだりといったもの。
ツッコミを対象化して笑いにする仕掛け自体は令和ロマンに限らず1つの技法として散見されるが、ここで仕掛けられていたのはケムリの茶目っ気を引き出して、ケムリをより世界の当事者として巻き込もうという試みだと捉えられる。そして、この試みが今回笑いとして結実したのである。ケムリは、くるまのツッコミとしてコント世界に片足だけ入るのではなく、どっぷりとケムリ自身がその世界で笑いの震源地になる。
別の角度でケムリを笑いの震源地に引き込む試みとして捉えられる「恋愛リアリティーショー」では、単におじさんという属性しか組み込まれていなかったが、この傾向を質的にジャンプした延長線上として、等身大のケムリの個性を組み込んだ今回の「猫の島」のネタがある。
くるま中心の地動説的漫才から、ケムリの個体としての面白さが顕在化された一枚絵としての天動説的漫才へ。これが「猫の島」において示唆された別次元の令和ロマン、ネオ・令和ロマンの可能性だったのではないか。
このコペルニクス的転回の可能性を垣間見たからこそ審査員のう大は、令和ロマンの中でイージーゲームをやってる感じがあるということで、より難易度の高いものに挑戦してもよいとコメントしたように思えた。これに対してくるまが、「2本目お待ちしておいてください」と返した時の覇気は凄まじかったが、正直2本目のネタは、従来のくるま中心のネタの複雑性を上げる点で挑戦的ではあったが、ネオ令和ロマンの傾向とは異なるものであった。
だが令和ロマンの目標はM-1の連覇である。夏の暑さを忘れ、年の瀬に慌ただしくなる時、令和ロマンは一体どんな進化を遂げているのか、楽しみで仕方がない。