【社会人に備える】シリーズとは何か
あと一か月ほどで私は社会人になる。卒論も終わったこの大学生としての最後の時間にやりたいことの一つは、社会人に備えることである。
もちろんそれは、思想的に、文章として備えることである。これまでの自分の経験や、大学で学んだ哲学・精神分析学的な考察によって、社会人の一歩目をそれなりの羅針盤をもって踏み出せるようにしたい。
今回は【社会人に備える】シリーズの第一弾として、自分が高校生の時の出来事を題材にしたい。
担任が教師を辞めた
ちょうど4年前、私は高校の卒業式に臨んでいた。受験生だった私には、卒業式の後にも国公立入試の後期日程が控えていたので、「卒業だ!高校生も終わりだ!」という感覚は無かった。
卒業式当日もギリギリまで学校の自習室で受験勉強をして、式典が終わるやいなやすぐ下校した。そんな痛い受験生だったので、卒業式の思い出などは無い。
だが、そんな私を含めたクラス全員が思わず驚愕した出来事がある。いわゆる「最後のホームルーム」。担任から最後のお言葉をもらう時間に、担任はおもむろに言った。
”私は教師を辞めます”
話を聞けば、どこか別の学校に異動するわけでもなく、はたまた別の仕事に転職するわけでもなく、その言葉通り、教師を辞めるのだという。
「最後のホームルーム」というと、レミオロメンの『3月9日』が似合うような寂しさと優しさに満ちた感動的な展開しかありえないと思っている私たち高校生にとって、担任の突然の退職宣言を飲み込むのは大変だった。クラス全員が「ん?」と疑問符を浮かべているのをよそ目に、担任は話し続けた。
”今日までみんなと心中する覚悟で全力でやってきたが、心にぽっかりと穴が空いてしまった。しばらく充電をすることにした”
そうして、私たちの門出は祝われた。
担任が辞めた私のクラスはどんなクラスだったのか
卒業式に起きたこの出来事はあまりに衝撃的だった。それがたとえば、学級崩壊したようなまとまりのないクラスであれば、ある種納得のいくものかもしれない。
だが私のクラスはごく平凡なよくあるクラスだった。体育祭など行事ごとで連帯し、みんなそれなりに授業に集中したり、居眠りしたりする。そんな普通のクラスだった。
唯一特徴的なことがあるとすれば、そのクラスが受験対策に重点を置いたクラスだったことだ。私の通っていた高校は、エスカレーター式の大学付属高校だったので、9割弱の同級生は非受験クラスだった。大学への内部進学の枠は十二分にあったので、卒業さえすれば進学できるという待遇だったため、残りの受験志望者は、決して成績不振により外部受験を余儀なくされたわけではなく、純粋に他大学への進学を希望している生徒たちであった。そのため、受験クラスに集まる生徒は傾向として、学内の成績上位者であり、なおかつ附属大学へのコンプレックスをそれなりにもっていた。
「自分は他の同級生より優秀で、受験勉強もしているのだから、何もしていない”非受験組”と同じ大学に進学するなんてありえない」といったコンプレックスである。
※私の通っていた高校では、特定の条件を満たせば付属大学への内部進学権を有したまま他大学を受験することができた。そのため、付属大学を実質「滑り止め」にし、本命大学だけを受験する人が多かった。
どんな先生だったのか
そんな少し傲慢な自意識が見え隠れする私たちの担任に就いたのが、先ほど紹介した先生である。年齢は40代で、妻子をもつ数学教師である。数学教師ではあるが、毎年のように受験クラスを受け持つ学内屈指のエキスパートで、当時でいう「センター試験」を毎年全科目解いて、そのすべてで正答率90%を超えていた。そのため、受験全体に関する指導が具体的で説得力があった。もちろん国公立大学の二次試験の指導も抜群だった。
なにより、生徒たちの受験対策への献身性が高く、物腰柔らかな親身な指導は生徒たちの心を掴んでいた。私を含めた数人は二次試験で記述型の数学試験が必要だったのだが、それに向けたオリジナルの演習問題や講義を授業とは別に準備してくれた。
決して分かりやすい「ハチマキ巻いてエイエイオー」な先生ではなかったが、静かに情熱的な先生だった。進路面談では、生徒に向き合いすぎるあまり、一人15分程度の予定が最初の一人目から1時間半面談してしまうということもあった。
卒業式の日にも、後期試験がある私のことを気にかけてくれた。受験クラスの担任ということで、当然といえば当然なのかもしれないが、単に合格実績という数字だけを追うのではなく、生徒の進路、将来そのものに対して情熱的であったことは私たちにとって幸運なことだった。
受験クラスの不振
ただ不運なことに受験クラスの合格実績は歴代稀に見る大不振だった。先にも記したが、私たちのほとんどが付属大学を滑り止めに、本命の他大学を一つ、多くても二つ程度しか受験していなかったので、合格実績は構造的に見栄えが悪くなりがちなのであるが、それにしても大不振。受験クラスの多くの生徒が、付属大学への進学に落ち着いたのである。
そういう意味で卒業式は、みな少し気まずさを抱えていた。「付属大学で教授の靴舐めまくるぜ」と開き直って強がる人もいた。クラスでおそらく私だけが後期日程を受験する予定だったので、私だけは進路未確定というポジションで、変な疎外感のなか卒業していった。
だからこそ冷静に卒業式の日の出来事が分かるのだが、私たちのクラスは、「担任の退職」をもってはじめて学校というものから「卒業」できたのではないか。少なくとも、学校という文脈では出会うことのできない「社会」の一端と対峙したのではないか。
望んでいた進路は叶わず、程度の差はあれコンプレックスを抱えて付属大学に進学する生徒たち。そんな生徒たちを前にした担任は、どう振舞うべきなのだろうか。それは「最後のホームルーム」という美化の作用を用いればそう不正解にはならないだろう。学校の文脈に則って、最後まで先生という「教える・導く」権威に同化し続けていればいいはずである。
だが私のクラスの担任はそうしなかった。そして、私たちは真に卒業した。
このことを理解するために、まずはなぜ担任が教師を辞める決断をしたのか考察してみよう。
なぜ、教師を辞めたのか
もちろん、退職の理由を推測するといってもその真偽は重要ではない。明らかにしたいのは、あの卒業式の日に私たち高校生にとって「担任の退職」がどのように現象したのかということである。教師を辞めるという言葉の奥に、私たちは何を見据えたのか。そのことを理解することで、なぜ担任の退職をもって私たちが真に卒業することができたのかを語ることができる。
”今日までみんなと心中する覚悟で全力でやってきたが、心にぽっかりと穴が空いてしまった。しばらく充電をすることにした”
先生が残したこの言葉がもつ悲哀は、社会人が直面する構造的な二つの宿命を想起させる。
自分のミッションが宙づりである
真剣であると制度から疎外される
この二つは同じことのそれぞれの側面な気もするが、要は「近づきすぎてはいけない!」という社会の警告といかに対峙するかという宿命である。
先生は静かながら並外れた情熱をもって生徒の進路に向き合っていた。そう一口にいってもそこにはいくつかの階層がある。最も短期的で具体的な階層として「志望校」がある。この階層に対応して、先生の主要なミッションが形成される。つまり、生徒が志望校に合格する確率を最大化するということである。
そして、志望校とは建前と本音が錯綜しながら、つまり偏差値や知名度も要素にしつつ、そうした客観的指標に還元できない要素、つまり受験生の主観に属する要素も構成員となる。その主観は、大学でしたいことかもしれないし、より長期的な計画かもしれない。
ともかく、この階層でミッションになるのは生徒が自分にとって有意味な志望校をもつということである。自分の主観において志望校を位置付けられているかどうかが、有意味かどうかということである。
これらのミッションは、それを機械にやらせるのなら問題ないかもしれないが、それを人がやる以上、ミッションは個人においては宙づりになっていく。この宙づりになっていくディテールは社会人になって実際に体感してから考察していきたいが、少なくとも傍からみていて思うのは、ミッションに対して熱心であればあるほど、それがミッションであるという反動に晒されているということである。
合格可能性を高めるために、よりハイレベルな数学の演習や講義を行う。それはミッションに熱心だからできることであり、その有意味さはミッションによって保障される。ハイレベルな数学を伝授することは、それが普通のレベルではないのだから、より労力を要する。その特異性は、学生と教師という社会的役割の間柄を超えた個人の主観的な交歓を準備する。
しかし、そこに微かな風穴があるのは、ハイレベルな数学はミッションに対する手段であり、主観的な交歓はあくまで副次的なものであるということだ。逆にいえばミッションは常に、個人の主観に属さないものである。つまり、人が人である限り、ミッションは常に宙づりなのである。
この展開は別の角度からもいうことができる。先生の最後の言葉でこのようなことも言っていた。
”学校の生徒への向き合い方に違和感がある”
その趣旨は、学校の先生たちが生徒を「優秀な生徒」「やんちゃな生徒」などとラベリングをすることへの抵抗である。生徒それぞれ色んな特性をもつし、変化していくものではないかという至極真っ当な意見なのである。
言葉を選びながらこのようなことを語る様子からは、「真剣であると制度から疎外される」という宿命が感じられた。これは決して「正直者が馬鹿を見る」的な不条理を嘆くためのテーゼではない。そうではなく、社会人が人として真剣であるということが、制度からの疎外と対応しているという真理の確認なのである。
先生は生徒と「心中する」つもりで並走した。そして、心にぽっかりと穴が空いた。てっきり心中する相手というのは、それにたる資質をもった特別な人が選ばれるものだと思っていたがそうではない。進級して受験クラスが出来た時には、もう心中する覚悟はできていたのである。
生徒からすれば、初対面の人にそのように言われても冗談にしか聞こえないだろう。だが、先生からすればそれが社会人であり続けるための最後の望みだったのだろう。
おそらくこれまで様々な方法を試したのだろう。ミッションに熱心だからこそ、自分との位置関係を無視できない。「生徒のためになる」「自分のスキルを生徒の役に立てないといけない」という真剣さと、それが一定達成できてしまう優秀さが、学校という制度と自分の微妙な疎外関係を明確化する。「私や学校は生徒にとって本質的に大切なことができていないのではないか」という不足の念は、その真剣さによって反復され、欠如の存在を認知する。社会人として、つまり制度の中で、一方で自分の主観において有意味な形で、他者と関わる。他者に対して熱心で、真剣であるほど、主観は自身を覆う制度を見つめ返す。見るということは、同時に見ている主体をその不可視によって確認する(何かを見ているその眼そのものは見ることができない)。
優秀な生徒だから目にかける、やんちゃだから厳しくするのではなく、心中すると決めたから生徒がどんな人であっても心中する。それはある種、目隠しをして道路を走り回るようなものである。生徒への一切のラベリングを禁じて、一方で同時に生徒に関するミッションに情熱を注ぐ。
この博打が先生にとって、社会人を延命する最後の方策だったのである。
そして、私たちは卒業した
担任が教師を辞めたことは、端的に捉えれば、制度の中で最も有効な人員が、その制度におけるミッションへの真剣さ故に、制度から疎外されるという構図である。
一方で、その瞬間最大風速地点に視点を移せば、それは自分の主観という領域に対する最も健康的な保全活動であったといえる。
制度の中で、主観が消え去ったノイズのないクリーンな「門出の言葉」は、学校という制度が主観を抹消することの反復であるだけでなく、今後のあらゆる制度の主観への優位性の反復でもある。正確にいえば、主観の抵抗運動をはじめから無いことにする力学である。
私の担任の門出の言葉は、「教師を辞める」という制度からの疎外を象徴するものだった。それは、私たちがもはや主観を楽園のように手放しに保全することはできず、常に制度の中での抵抗運動としてしか健康的に保全できない段階に来ていることを、つまり私たちは既に卒業していたことを告げるものだったのである。
【社会人に備える②】に向けて
社会人とは、制度の中で、一方で自分の主観において有意味な形で、他者と関わる形式である。そこで根本的に問題になるのは「主体」とは何かという問いである。私たちは主観を制度との緊張関係で理解しなければならない。そして主観とはその所有者である「主体」という空虚な器の性質「主体性」から理解していかなければならない。
哲学者で精神分析学者であるジジェクにおいて、その多彩な議論の核心もまた「主体性」である。次回【社会人に備える②】では、主体性について考えて行きたい。