どうも、こんにちは。ひかりと申します。ぽんちゃんという愛称で一部から呼んでいただいています。
私は今は、25卒でエンジニアとして就活をしています。その中で採用担当の方やエンジニアの方々から、文系で授業も友達も技術とは無縁だったのにどうしてエンジニアになろうと思ったの?とよく聞いていただけることがあります。自分の思考整理も含めてせきららに書いたので、良ければちょっとだけ見ていってください☕️
18歳で味わったやるせなさ
自分の人生の大きな転換点の1つは18歳の時の出来事でした。超ど田舎出身の私は、当時受験勉強真っ只中でした。寝ても覚めても勉強、勉強...。当時は勉強のやり方もわからず、何のために勉強しているのかもわからない、そんな状態でした。
そんな時、一緒に勉強を頑張っていた中学からの親友が突然塾に来なくなりました。地元の中学校で出会ってからはお互いスポーツマン、趣味も同じで馬が合い、気の知れない仲です。スマホを封印していた私は、数日後の留守電で衝撃を受けることになります。
「やっほう、塾行けてなくてごめんなあ。なんか、癌になっちゃってさ」
頭が真っ白になりました。一緒にいたのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。
心配かけまいと明るく振る舞わないでよ、どんだけ辛いんだよ、もっと頼ってくれよ!色々な思いがぐるぐるして、それから病院や家に会いに行ったり、一緒に遊んでみたり。でも当時の私は、一緒にいれる一瞬一秒がどれほど貴重なものか本当の意味では理解できていませんでした。
発見から半年も立たず、スキルス胃がんという末期がんで彼女は亡くなりました。発見当時はすでにステージⅣ、早すぎる別れでした。
ちっぽけな自分に何ができるのか
自分に何ができたんだろう、もっとできたことがあるんじゃないか、やるせない気持ちにひたすら悩み苦しみました。
そんな時、その子のお母様から闘病中のお話を聞くことになります。その内容は要約すると、以下のようなものでした。
周りの医療従事者の方々は、田舎の病院で難病について資料も少ない中、アメリカに検査を出し、帰って来た診断書の英文を翻訳してくださったり、皆が一つになってやれる事をしてくださった
セカンドオピニオンを求めて東京の病院に行き地元の中枢病院と同じような検査をしたが、残念な結果だった。ただ、沢山の質問に丁寧に、的確にアドバイスしてくださる素晴らしい先生だった
ほかにも、色々と教えていただきましたが私がずっと引っ掛かっていたのは、現場の医療従事者の方々は本当に精一杯健闘してくださっていたということです。また、親友やそのお母様含めご家族も懸命に尽力なさいました。そのお話を聞くうちに、医療従事者の方々や患者様、そしてそのご家族の方々がもっと報われる世界線に貢献したいという思いが生まれました。色々と調べていく中で、より大きな解決すべき問題は、地域医療のDX化の遅れやレガシーな日本の医療システムそのものにあるのではと感じるようになりました。
エンジニアになろうと思ったわけ・どんなエンジニアを目指すのか
ずばり、様々な業界に存在するレガシーなシステムや制度に対して、それらと上手く向き合い根本的な課題解決ができるエンジニアになりたいと思ったからです。パソコン一台で次の日から勉強できたのがweb系のエンジニアだったので挑戦し、プロダクトやクライアントとひたすら向き合い続けることにやりがいを感じました。青臭いことを言っている自覚はありますが、苦しんでいる方々がもっと頑張らなくていい世界線に少しでも貢献できるよう、プロダクトを作るという形で携わりたいと思っています。
原体験からしてプロダクト思考のエンジニアだと思いますし、それはこれからも変わらないと思います。もちろん、技術は好きですが必要になったら何でも学ぼうというスタンスで幅広く色々勉強しています。分野も、医療業界に限定せず幅広い視野と経験を身につけること、課題解決ができるエンジニアになることが先決だと感じています。
また、なぜ作るのか、何を作るのかを大事にしています。みんなが納得してプロダクトをつくるために、前提をとことん深掘り認識を合わせることが肝要だと思います。
マインドとして、エンジニアである前に人でありたいと思っています。周りの人やご縁を何よりも大事にしています。人にはそれぞれ正義や価値観があり、勧善懲悪はないと思いますが、利己的な価値観が強すぎたり、愛なくして人の心情を大事にしないタイプの方とは相性が悪いので、なるべく近づかないようにしています。
これからの課題は、エンジニアとしてビジネス的な観点とも向き合い続けることです。世のため・人のためだけではプロダクトは回りません。持続可能性や利潤も含めて、長期間にわたって人々の人生に寄り添うことのできるプロダクトを作るための知識や経験がまだまだ足りません。現在は先輩や仲間が起業しているプロダクトに関わらせていただいており、まずはそこで実践的にこの課題と向き合えたらと思っています。
エンジニアとして1年半、振り返ってみて
ただ、とにかくひたすらにできない自分と向き合い続けた1年半でした。ハッカソンに何度も出てアウトプットを増やし、腹を括って休学を決意しインターンを続け、自分一人でできることを増やし続けた毎日だったと思います。バリューを出せないくやしさや自分がエンジニアに向いているのかと悩んだ時期もありましたが、信頼できる周りの方々のおかげで少しずつ貢献できることも増えてきたと思います。
「なぜそんなに頑張るんですか?」とありがたいことに言っていただけることもあります。たぶん、周りから見ているとめっちゃ必死に見えるんですよね笑
「今日という1日は、あの子が全力で生きたかった1日で、それを今自分は生きているんだ」
この思いに尽きると思います。どれだけ嫌なことや落ち込むことがあっても、ここだけは絶対に変わりません。それほど、その親友には恩がありました。辛い時たくさん助けてもらいましたし、楽しかった思い出はずっと生きていて、今でも自分の糧になっています。私は、その子がどれだけ頑張って生きぬいたか知っているので、それを受け継いで行きたいと思っています。そして結構ポジティブに、自分の人生だけどあいつの分まで生きてやんよ!!と思ってます。
私は別にたいした人間ではないですし、失敗もポカもたくさんやらかします。紆余曲折あってようやく自分の理想に3%くらいは近づけたかなと思ってます。それもこれも、様々なインターンやイベントで関わってくださった方々、辛抱強く一緒にハッカソンに出ていただいたサークルの先輩方仲間のみんな、いつも応援してくれた家族・友達など周りの方々のお力あってのことだと思っています。少しずつ、目標にしたいロールモデルの方々との出会いも増えてきて、今はその方々に少しでも近づけるように研鑽を続けている道半ばです。本当にすべてのご縁に感謝しかありません!!ありがとうございます!!!
最後に
結構長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました!実はこの記事は親友の命日に公開予定でしたが、、、なんとまあ見切り発車な私はインターンやプロダクトを掛け持ちしておりその前後は絶対にバタバタしている予感がしていたので、このタイミングで決意を改めて表明させていただきました!
胸焼けするぐらい青臭い内容だったかもしれませんし、暗い内容で辟易された場合は申し訳ないです。私はまだまだ未熟者ですが、これからもコツコツ頑張っていこうと思うので、ぜひぜひ暖かく見守っていただけると嬉しいです!よろしくお願いします!