FGOのプトレマイオス殿のバレンタインのお返しが余りにも美しいお話だったのでうわーっ!!ってなった気持ちを認める。
まず若プトレマイオス殿も翁プトレマイオス殿も突然メガネをかけだしたので、はいはい来月のCBCメガネイベリターンだね!知っているとも!!なぁ!コン陛下!!メガネ!ほら!仲間増えた!みんなでかけような?!とか思っていたが、彼らの「視力」と「読書」の話を聞いて、さっきまでCBC!メガネメガネ!と騒いでた自分を恥じた。
視力が悪いので書物を読む事を諦めざるを得ない状況にあった人がいたということ。
マスターには、「未来」があるということ。
どちらも当たり前過ぎて抜け落ちる視点が同時に出されてハッとしたお話だった。
抜け落ちるというか、本当に当たり前過ぎて取りこぼしていた事に気づいたというか…。
視力が悪いならメガネかければいいという選択肢がそもそも無かった時があったという事をね…。
自分がメガネをそういう単純な視力矯正器具であり、文明の利器であることを失念してた事が凄く恥ずかしかった。自分なんて、当たり前にこれが無いと生活出来ないのにね。
マスターの事もその「未来」の為に、英霊達やカルデアのクルー達の力を借りながら歯を食いしばって「今」を必死に頑張っている所に、あなたが辿り着いた未来でコレをやりなさいな。あなたの足で歴史に会いに来なさいなと具体的に提示してくれるの、マスター、大分救われたんじゃないかなぁと感じた。
血なまぐさい大戦を乗り越えて、平和な世界に放り出された戦士への配慮の上手さというか…マスターをただの「人」として、未来を歩ませる為の寄り添い方と具体性が凄く好きだ。
あと、彼等の話の中での所作。
敬愛するマスターとのやり取りの最中はメガネをかけたまま話をしてくれるけど、いざ彼等の過去の真相を聞こうとするとメガネを外して老いた自分・若い自分に向き合い、さて、仕合おうではないかと一方的かつ、ぷつりと話を切られる。
メガネの着脱ひとつで、とても印象深いマスターとサーヴァントの関係性や、過去と未来の狭間を現してくれた様に感じた。
メガネという現代では余りにも当たり前過ぎる「文明の利器」。
メガネが「あったから・あったら」見れたもの。
思いがけず、メガネでカルデアと縁が出来た「彼」のことを再考してしまったり。
それは、また別の話。
しかし、お返しのコンパスと鍵のデザインがめちゃくちゃいいなぁ…。針が若プトレマイオス殿が伝令として使役してたロボ鷲(?)っぽくてカッコイイ…。翼を広げて飛ぶ大鷲みたいで、羅針盤の針として余りに良すぎるデザインだし、ふた裏にあしらわてるのは何のお花だろう…?梅っぽい形をしている…。翁プトレマイオス殿がぱやぱや咲かせてるあのお花かな?
鍵は彼らの宝具そのものがデザインされてる感じかな?
これを持って、旅に出る藤丸の後ろ姿…
見たいね。見たいですねぇ…。
「いってきまーす」って、言って欲しいな。