箇条書きで。
・最初の問、アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か、という問の答えはお母さんです。彼は生涯パートナーを持たず、お母さんやいとこのお姉ちゃんが世話を焼いてくれていたため、本を執筆できたというわけです。
もしアダム・スミスが小説家だったなら、仲がいいね、で済んだ話です。しかし彼の書いた本は経済学の本、「国富論」だったんですね。
・肉屋、酒屋(ビール醸造者)、パン屋、誰しも親切心や善意で商売をしているのではなく、自分が儲けたいという利己心によってのみ経済が動いているという主張をしているのがアダム・スミス流の経済学。
しかし、母親が毎回調理して食卓においしいごはんを並べてくれていることを経済として計上していなかった結果、その理論は不完全なものになってしまい、それに追従する経済学の迷走を手助けしてしまった、というのが最初に提示されるオチです。
・これは役に立つ知識ですね。例えばあなたの前に急に、「アダム・スミスの見えざる手!!我々はみな独立した経済人!!」を連呼しつつ起業を促すコンサルが現れたとしたら、「アダム・スミス、ああ、ほぼ一生お母さんにごはんを作ってもらっていた人ですよね。独立したいので僕のお母さんになってくれませんか?」とお願いすれば、あるいはまったくあたらしい関係性を築けるかもしれません。
・今のは私が考えた脱線ですので本筋に戻ります。毎日15km歩いて家族のために薪を取ってくる11歳の少女の労働は経済発展に欠かせないが、国の統計には記録されていなかった、という面から見ると、歪みは明確になります。
・これは個人の家庭内に留まらない話です。人を生かす仕事が正当に評価されない構造は、より大きなスケールでも作動しています。例えば、アフリカから看護師や医師が、より稼げるカナダやアメリカへと流れていき、そのせいでアフリカが深刻な医師不足に陥っている、とか。遠いように見えて、根を同じくして人間を苦しめる問題です。
・というわけで、そういう面から経済学を批判する本です。
・経済学者は経済学における利己心を、物理学における万有引力と同じように考えているが、物理学の祖であるニュートン自身が「星の動きは計算できるが、人の狂気は計算不能だ。」と述べていることを誰も気にしていない。計算不能であるものを計算し、あとから正当化のために理由をこじつけている、と痛烈批判しています。
・読んでいて特になるほどと思ったことは、無人島の例えですね。経済人は「ロビンソン・クルーソーの冒険」を自立した個人の物語として大好きだけど、実際彼はスタート時点ですぐ近くの難破船からかなりの資材を取ってくることができた。その道具や資材は海の向こうで誰かが作ったもので、相当その人達の労働に依存していたと。
・また、金の腕輪200個を持った男と米1袋を持った男が遭難したとして、経済学的な観点では「米を持った男は米の値段をいくらでも釣り上げられる」という見立てなんですが、いったん米分け合って生き残る方法を考えるとか、単に寂しいから仲良くなろうとするとか、人間的に考えるとそういう話にもなるじゃないですか。その考えがないから経済学が間違い続ける、というのが本書の弁です。
・後半は読んでいて引っかかる部分もありました。というのも、基本的に女性の定義(あるいは男性の定義も)が一定なんですよね。
調べてみるとこの本の原題は「唯一の性」で、経済人(ホモ・エコノミクス)が(社会的弱者の無償労働を享受する)男性のみを前提したものであることへの批判、この反証として持ち出された女性像であることがわかりました。とはいえやや呪いの再生産に繋がりそうな、危なっかしい表現があるような……
もちろん受け取り手次第ではあるんですけど、その呪い、要は二項対立の枠組みを内面化して世界をそのフィルターで見るようになることは、本を読んで気づきを得た人ほど正義の確信と一体化しやすい。「正しいことを学んだ」という実感があるぶん、枠組み自体の限界を問い直す動機が生まれにくい。
・これは2012年に書かれた本なので今とはちょっと異なるとは思うんですが、私としてはそんな感じです。翻訳が遅かったみたいですね。
平等への取り組みが成されるスウェーデンにおいて、賃金格差や差別が根強く残るのは、そもそも経済の仕組みに問題があるのではないか、という提言、そして改善への意思。(なお平等への取り組みを後退させたら数字が余計悪くなるという統計はすでに出ています)
・あらゆる性、すべての人の人間性を守りながら、人間の福祉、健康に関わる労働にどう対価を支払っていけばいいのか。これからの経済学がより正確になるといいですね。
・でも、本当に善意なんて必要なんでしょうか? 利益の追求だけしても社会はうまくいくのでは? その問いに答えるため、最後はこの段を引用しましょう。
欲と不安、利益と理性だけでできている社会はない。そんな社会が機能するわけがない。経済学者で哲学者でもあるアマルティア・センは、それを次のようなたとえ話で表現する。 「駅はどこですか?」とある人が尋ねる。 「あっちだよ」地元の人は言い、駅とは反対方向の郵便局を指差す。「ついでにこの手紙、途中で投函しておいてもらえないかな?」 「お安いご用です」道を尋ねた人は手紙を受けとると、勝手に開封して何か貴重品が入っていないかこっそり探っている。そんなふうでは、何もうまくいかない。
カトリーン・マルサル. アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話 (p.109). 河出書房新社. Kindle 版.