文章の色(2024/5/2)

homachimaru
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今日からタイトル部分に書いた日付を併記することにした。それに伴い、過去の記事にも日付を入れた。1件だけは書いた日と公開日にずれがあったため、公開当時から日付を既に記入していたけれど、残りについても全てタイトルの後ろに日付を併記した。


NHKの夕方のニュースで、先日のフジコ・ヘミングさんの訃報に関連した過去の映像特集をやっていたのをたまたま見ていた。その中で、自分がピアノをどのような弾き方をしたいかについて、「ひとつひとつの音に色をつけるように弾く」と言われていたのが印象的だった。私は決して音感が鋭い方では無いけれど、確かにそう言われてみれば、フジコ・ヘミングさんの演奏には、まるで絵画のような彩りを感じられる気がする。

色をつけるといえば、小説や詩、それ以外でも例えばSNSの投稿を読んでいる時、とても心惹かれる彩りのある文章に出会うことがある。情景がありありと思い浮かぶような文章や、読んですんなり理解しやすい文章などとはまた違った、まるで書いた人がさまざまな色を重ねたかのように感じられる文章である。あるいは、書いた人の個性や思いが色彩化されたような文章とも言えるだろうか。そういう文章を見つけると、つい何度も読み返してしまう。もしかしたらこの感覚は、音や香りで感じるタイプの人もいるかもしれない。

私自身は、普段意識して色をつけるように文章を書くことはしていないけれど、ここで何かを書く時だけは、たまに手書きのペンで綴るイメージで文章を書くことがある。ほとんどの場合、それはブルーのインクの万年筆なのだが、その時の気分によっては黒やセピア色になることもあるし、0.7ミリのシャーペンで走り書きしているイメージになることもある。そういえば、鮮やかなカラーのペンで書く、あるいは描くイメージは全く浮かばない。自分らしいと言えばらしいし、こういうところがもしかしたら自身に欠けている点なのかもしれないと思った。

これからの時代、生成AIによって多くの一見魅力的な文章が生み出されるだろう。それらを読んだ時、人の生み出した文章と同じように心惹かれてしまうのだろうか、それともどこか違和感を覚えて拒否反応をしてしまうのだろうか。