Blueskyで「#読書の背景」というタグと数多くのポストを見かけた。私もいわゆる読書家と呼ばれる人たちがどのように読書時間を確保しているのかとても気になるので、興味深く読んでいる。
私自身は正直読書家ではない。一番本を読んでいた時期でさえおそらく一年に三桁の冊数は読んでいないはずだ。積読が好きではないのですぐに読む本しか購入しないことも理由の一つだろう。しかし、ここ十年は読書量が更に激減していて、年単位での積読や読みかけの本が発生している。原因は間違いなく某SNSだろう。その某SNSから離れつつあるこの秋、ようやく読書習慣が戻り始めた。現在は通勤時間に積読を消化中である。
高校生の頃までは、本は家か図書館で読むものだった。自転車通学だったというのもあるが、それよりも市立図書館が近くにあったことが大きいだろう。当時住んでいた自宅から自転車でひとっ走りできる距離にあったので、学校図書館よりも学区外の市立図書館を利用することが多かった。
小学生の頃は、児童書や絵本よりも、学校図書館には置いていないイラストの多い手芸や工作の本をよく借りていた。実際にいくつか作ってみたものもある。
中学生になると、読書感想文の課題図書や国語の教科書で興味を持った作品を探し出しては読んでいた。ただ、当時はマンガに夢中になっていたので、図書館に通う頻度は小学生の頃に比べると減っていた。それでも、図書館で自習ができることを知ったのもこの時で、夏休みや試験前に利用したこともある。結局図書館の本を読み耽ってしまい全く自習にならなかったけれども。
高校時代は、興味の赴くままに借りては読んでいた。『銀河英雄伝説』や『竜馬がゆく』を読破し、『窯変 源氏物語』に手を出して挫折したのもこの時期だった。国語(現代文)で習った樋口一葉『たけくらべ』や森鴎外『舞姫』の文章が難解すぎて、現代文なのに何故と文句を言いながら訳本を探したけれど、ついに見つけられなかった。
思えば、私がある程度読書習慣が身に着けられたのは、もちろん学校における読書の時間の効果もあったのだろうが、この市立図書館の存在を抜きにしては語れないだろう。
余談だが、私の市立図書館の貸出カードは当時作ったものを長年使用している。裏面に記載された休館日や開館時間、貸し出し可能冊数が現在とは違っているが、今でもこれで問題なく借りることができる。最近はセルフ貸出処理もできるので便利だ。しかし、そこで自筆の名前を目にするたびに、いまだに当時から成長していない自分を目の当たりにさせられているような気持ちになる。そういえば登録情報も当時のままではないだろうか。インターネットで蔵書検索だけをして実際に図書館に行って借りることが主なので、免許証などとは違って更新する必要性がこれまで無かったが、さすがに新調したくなってきた。