命の輝き(2024/6/8)

homachimaru
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19時半過ぎに、たまたまチャンネルを変えたテレビで「伝説のコンサート 美空ひばり(リマスター版)」をやっていて、そこから最後までずっと観ていた。美空ひばりの歌は実を言うと知らない曲の方が多いのだが、その圧倒的な歌唱力に耳も心もいつの間にか惹き付けられる。ひばりさんの歌声に聴き入っていると、以前、紅白歌合戦で歌っていたAI美空ひばりのことをふと思い出した。そして、やはりAIは本人の歌を決して超えることはできないだろうと改めて思った。本人にいくら寄せていたとしても、何というか生命の根源的な、その本人からしか発することのできない唯一無二の心の響きとでもいうか、そういうものはAIにとってはむしろ難易度が高いのではないか。学習により最適な受け答えはできたとしても、真に共感することも逆に反感を抱くことも無い。それがいいという場面ももちろんあるだろうけれど、特に創作や再現においては、そういった漠然としているけれど決定的な何かが不足している感がどうしても否めない。

朝ドラ『ブギウギ』でも描かれていたように、笠置シヅ子はわりと早いうちに歌手を引退したけれども、美空ひばりは最後まで歌手として生きた人だったんだなあと、全ての歌を歌い終わった後、ステージ上から観客に手を振りながら去る姿が心に沁みた。永遠であり続けられないがゆえの生きる命の輝きは、どんなにAIの学習能力が精緻になったとしても、再現はそれこそ永遠に不可能だろうと思った。


命の輝きと書いて思い出した。先日、大阪万博のキャラクター、ミャクミャクがラッピングされた新幹線を見かけた。ラッピングと言っても、小さなミャクミャクが何か所かに控えめに貼られているというものである。1970年の大阪万博は50年以上経った今でも輝きをもって語られる伝説になったけれど、2025年の万博は、50年後にはどのように語られるのだろうか。