昨日、日記をBlueskyにアップした数分後に、スマホから緊急地震速報が鳴った。テレビでしばらくニュースを見た後、テレビを消し、今度はラジオのスイッチを入れてタイマーをセットし、寝ながら地震関連情報を聴いていた。ちょうど広島放送局からの中継を放送していて、地震直後に放送局のすぐ近くにあるホテルから外に出て来られた外国人観光客へのインタビューの内容を伝えていた。オランダから来られた方で、地震は初めての経験だったので驚いて外に出てきたというものだった。広島市内は震度3だったので、日本に暮らしている人であればまずまず慣れている程度の揺れだろうけれど、初めての経験であれば、しかも夜の地震はどんなに怖く不安だっただろう。そういう私も、昨晩はやはり寝付きが良くなかった。しかし、いったん眠った後は熟睡できたようで、次に目が覚めた時には朝になっていた。
『虎に翼』が、回を重ねるごとに更に切れ味が鋭くなっている。今回最もしんどかったのが、教授が法廷劇の脚本の元となった判例をそのまま原案とせず、女性受けするような改変を行っていたことが明らかになった場面だった。おそらくこの教授に悪意は微塵も無く、女性に受け入れられやすいものをという思いから改変したのだろう。しかしそれは、女性に対する固定観念から来る無意識の傲慢さの裏返しでもあるのだ。
100年前も今も全く変わることのない光景を観ていると、辛いというより痛い。むしろ現代の方が、法の上では平等と謳われている分、慣習的に残っている旧態依然の差別が見えなくなっているような気がする。
SNSでも、同じ朝ドラを観ているのに、男性と女性とではストーリーや登場人物に寄せる思いの熱量が明らかに違っていると、特に女性から多く指摘されている。それは私も先週くらいから薄々と感じることがあった。『虎に翼』は、女性がただ女性であるというだけで受ける理不尽や不利益、それに伴う分断を描いている。しかし、だからと言って男性を断罪しようとしているのでは決して無いと思う。ただ、女性の生きている世界とは、見ている世界とは、多くの男性だけでなくややもすれば女性でさえも思っているような楽なものでも単純なものでも無いというリアルを、ドラマとしてできるだけ俯瞰的、多面的に描くことで、寅子を始めとした女性たちの怒りや涙や疑問の元にある問題が決して昔話では無く、今もまだ続いていることを見て欲しい、知って欲しい、できれば向き合って欲しいという思いも込められているのかもしれない。