2025年11月3日(月) 自由律俳句をうまく読めない

homachimaru
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公開:2025/11/4

詳細は省略するが、ポイント5倍の買い物どころではないやらかしをしてしまい、今日は日記も書く気にはなれなかったのだけれど、かと言ってとりあえず今のところ私自身ができることは何もないのでこうして書き留めている。周りの人や家々、SNSを眺めていると、悩みなど無いように感じられる。実際には皆それぞれ多かれ少なかれ悩みを抱えている。それは十分に分かっている。自分一人が不運を背負い込んでいるような気持ちになるのは心に余裕のない証拠だ。明日には問題が解決することを願うのみだ。

いわゆる五七五の定型ではない俳句を読む時、どうしても、五七五調に囚われてしまい過ぎて、リズム良く読めない。そのせいか、句を味わうというよりも読みこなすだけでいっぱいいっぱいになり、楽しさよりも戸惑いの方が強い。これもやはり慣れなのだろうかと、青空文庫で尾崎放哉選句集を読んでみた。学生時代までは一般的な五七五の俳句だが、就職した頃から次第に自由律俳句が増えてゆく。これは比較的読みやすかった。時系列に並べられることで、まず五七五の定型句が並ぶことで土台となり、年を経るにつれ固定観念から開放されるように自由律俳句が展開される。しかし、文字数は合っていないとしてもどことなく俳句の基礎である五七五の感覚は残っているように感じられた。思っていた以上に読んでいて心地良かった。

この後、種田山頭火の『行乞記』を少し読んだ。こちらは旅の記録でもあるので、俳句よりもつい地の文の方に目が行きがちになる。初日早々「私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。」で始まる。2日目にして「一生動きたくない」とも書いている。働きたくないと放浪の旅を生きることを選べた山頭火に少し複雑な思いを抱いた。

@homachimaru
日々のよしなしごとを淡々と綴る。