今週の『虎に翼』(2024/6/15)

homachimaru
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公開:2024/6/15

今朝、窓を開けると、青空の中に真夏のような白い雲が浮かんでいた。この週末は雨になるんじゃなかったのか。

 

『虎に翼』の今週分まとめ再放送を観ていて、改めて、自分とは違う性別、志向、出自、生き方等をしている人たちに対して、その人たちが抱えている違和感や苦しみを真に理解するのは本当に難しいと痛感させられた。

轟の花岡に対する恋愛感情そのものは理解できても、世間一般で言ういわゆる「普通」のそれとは違うという苦しみの本質はおそらく理解できていないだろう。ヒャンちゃんが日本で生きていくために崔香淑という名とそれまで築いてきた関係を消さざるを得なかった背景自体は理解できても、本人にしか分からない、決断に至るまでのおそらく身を引き裂かれるような苦悩にまではおそらく理解が及んでいないだろう。

ドラマ序盤において、女性には多様な生き方が制限されていることに対する「はて?」に何度も共感し、当時から80年以上経ってもいまだに変わらない光景に愕然としていた頃を思い出した。問題の根本は同じはずなのに、自分の属性や志向と違うだけで、関係無いと他人事に思ったり、反対に今の寅子や先週の穂高のように、助けてあげなくてはならない、助けてあげられなくてごめんなさいという、優しさの皮を被せた傲慢さを持ったりしていないだろうかと自問自答する。

ただ、憲法第十四条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。苦しみを心底理解できないとしても、何の手助けもできないとしても、自分の中にも多かれ少なかれこびり付いている差別や偏見に気付き、正面から向き合い、それを取り除き、意識を変えてゆくことはできる。

桂場は「正論は見栄や詭弁が混じっていては駄目だ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」と言った。桂場の言う純度の高い正論とは、一人の人間の正義感からによるものではなく、国を、社会を、法をより良くしようという目的の元に、多くの様々な属性や志向を持つ人々が集まり、話し合いを重ね、切磋琢磨されてこそ生まれるものを指しているのではないか。私はそのように考えている。