Twitterで2011年3月11日の自分のツイートを検索しても一つしか出てこない。それは被災していたからではなく、被災地から遠く離れた地域にいたからだ。この日以降のツイートについても、少しでも震災に、特に被災地やその報道に関わるようなつぶやきはしてもすぐに削除したり、後日まとめて削除したりしたものも多い。被災していない部外者が、未曾有の大災害とそれに伴う甚大な被害に対して一体何を言えようか、何も分かっていないくせに、経験していないくせに、という気持ちがとても強かったのだと思う。
この13年間、大小問わず災害が起こるたびに、災害時の、特に自分が被災していない場合におけるSNSとの付き合い方、距離感をずっと考えさせられて来た。今でも私の中では明確な答えは出ていない。ただ、SNSのあり方も年月とともに変化している。特にTwitterがXになり、仕様が変更されるたびに少しずつ距離を置くようになったことで、皮肉ではあるが、結果的に適度な付き合い方ができるようになってきた気がする。しかし、すっきり解決、という訳じゃない。どうも上手くまとめられないからこの話はいったん終了する。
今日の午後は風が強く、歩いていると時たま突風に煽られそうになった。歩いていた場所から少し向こうにある工事現場の横でビニール袋が舞い上がり、現場を囲うフェンスをまるで高跳びをするようにふわりと飛び越えた。ちょっと映画のワンシーンのようだった。