しずかなインターネットに記事を書くたびに、それがどんなにひとりごとのようなものでも、その投稿のリンクを必ずBlueskyに上げている。投稿のリンクを上げる主な理由は、私自身のモチベーション維持と、ひっそりとはいえ公開することによりあれこれぶちまけ過ぎてしまうのを回避するためなのだが、思っている以上に読まれていたり反応をいただくこともある。驚くと同時に素直に嬉しく思う。
意外と読まれてますよと言えば、あまりいい話ではないのだが、先週X(Twitter)で、今期の朝ドラ反省会のタグを、ふとした弾みで見かけてしまった。まだ数回しか放送していないのにと冷え冷えとした気持ちになった。内容をなるべく目にしないように回れ右して、すぐそのタグをミュートワードに設定した。不快と言うより、いつか先鋭化してその矛先がこちらに向けられるのではないか、そのことが怖いのである。
以前、Blueskyの方でも書いたが、朝ドラや大河ドラマの反省会タグは、使用者にとっては本タグでは憚られることを本音で語るための内輪の住み分けタグという感覚なのかもしれない。けれど、単なるドラマの内容への批判だったものが、いわゆるエコーチェンバー効果やサイバーカスケード効果によって、次第にそのドラマだけに留まらない誹謗中傷や罵詈雑言など、読むに堪えない投稿までもがそのタグ内では正当化されてくる。住み分けをしているのだから、わざわざ関わらずに放っておくか自衛すればいいという意見もあるだろう。私自身も基本的には関わらない姿勢でいる。しかし、過去にはそういった反省会タグが新語・流行語大賞にノミネートされたことさえある。SNS上では想像以上に様々な人がそういった投稿を目にし読まれていること、それに伴う影響は時に人生を変えてしまう可能性もあること、それらを自戒も込めて、いつも頭の片隅に置いておきたい。