6月の特に後半が7月のような天気だったので、それがそのままスライドしたかのように7月になった途端8月のような猛暑である。梅雨はどこへ行ったのだろう。このまま8月が9月になるのなら少しはマシなのかもしれないけれど、おそらくそうはならず8月は8月だろう。9月に至っては10月どころかもしかしたら8月になるかもしれない。自分で書いていても訳が分からない。それにしても、1年の内の四半期が8月並の気候とは尋常ではない。
ただ、広島市の大規模土砂災害のあった2014年の夏みたいにならないとも限らない。この年は梅雨が開けた後の7月下旬は連日気温が高く、猛暑日になった日もあった。それが一転、8月になると雨が続き、気温もそれほど上がらない日が多くなった。8月6日の平和記念式典も、当時40数年ぶりの雨となり、大雨警報が発表されている中での開催だった。そして、この2週間後に土砂災害が起こった。あれから今年で10年になる。
それにしても、猛暑か豪雨かみたいな夏は本当に嫌だ。昼間は適度に暑く、でも朝晩は適度に涼しく、時折夕立が降り、窓辺に吊るした風鈴が良い音で鳴るのが聞こえてきて涼を感じる夏は、もはや過去の出来事かフィクションでしか味わえないのだろうか。
雨と言えば、今日の『虎に翼』の穂高先生の退官挨拶と、花束を渡すこと無くその場から退出した寅子が穂高へ怒りをぶちまける場面を配信で何度も見返した。
寅子の「女子部の我々に、報われなくても一滴の雨垂れでいろと強いて」という発言から、ここで寅子の言う「雨垂れ」とは、何十年、時には百年単位で地道な研究や実験を積み重ねてゆく有名無名の学者や研究者たちや、例えば一票を投じることで社会を変えたいと行動する世間一般の人々を指すものでは無く、まさに今、社会の不合理により不利益を被っていたり、虐げられたり、しわ寄せを受けている、しかし声を上げられないまたは声が届かないような弱い立場の人々のことを指しているのだろうと思った。そういった人々に対して、それなりに社会的成功を収め、地位や名誉を得た人から「報われなくても一滴の雨垂れでいろ」と言われてしまったら、いくら相手が恩のある方だったとしても怒るのも当然だろう。怒らなかったとしても、一生その相手にはスンッとして心を開くことは無いだろう。
ただ、あの寅子の怒りは、もしかしたら年老いてもう踏ん張ることは無理と諦めてしまった穂高先生に対して、勝手に諦めるなんて許さない、もしもうご自分に踏ん張る力が無いのであれば、私にその役割をぜひ引き継いで欲しいと何故言ってくださらないのかという怒りにも感じられた。