守る

honozu
·

今日の短歌界隈はとある話題で持ちきりでして……その説明をするために、ひとつお勉強をしてもらう必要があるのですが

現代の短歌における「文体」(文体ではなく「文体」)は、大きく二つの軸で考えることができ、それは「口語/文語」「旧仮名/新仮名」です。例を挙げれば、

①今は昔、竹取の翁といふものありけり。(文語旧仮名)

②今は昔、竹取の翁というものありけり。(文語新仮名)

③今となっては昔のことだが、竹取の翁という者がいた。(口語新仮名)

④今となつては昔のことだが、竹取の翁といふ者がゐた。(口語旧仮名)

この通り、簡単にいえば、「文語/口語」は「昔の言葉遣い/今の言葉遣い」で、「旧仮名/新仮名」は「昔の仮名遣い/今の仮名遣い」という理解でまあいいわけですが、現代の短歌において、文語か口語か、旧仮名か新仮名かっていうのは結構ごちゃまぜになっているというか、どれで詠んでもいい、どの形でも活躍されている方がいらっしゃるという感じなんですね。

で、今回問題になっているのは、とある、インターネットの短歌界隈でいまや大きく成長している投稿プラットフォームが、「文語・旧仮名による作品は『失格』とする」という要項を新しく追加したことです。上の①~④のうち、③以外はだめですよ~っていうことですね。これが、①とか②とか④とかを作っていた人、ひいては③を作っていた人からさえも批判されているっていうわけです。

自分のつくっていたものは『失格』だと言われるわけだから、それはまあ批判も来るやろって感じではあるし、そもそも短歌っていうのは1000年以上の歴史がある文化であり、その歴史を参照することで歌壇は成立しているから、それを軽んじているのではないかという声が出るのは当たり前と言えば当たり前なわけで。あと、選者として、川本千栄という、「キマイラ文語」っていう、短歌における「文語/口語」について論じた超有名な評論を書いた人を呼んでいるというのも邪推ポイントになってしまっているようですね。

ここからはわたしの意見というか感覚なのだけれど。わたしは主に③の「口語新仮名」で短歌を詠んでいるんだけど、「文語旧仮名」とか「口語旧仮名」も好んで使います。というか、その短歌の見せ方によって使い分けてるし、そもそも「口語旧仮名」で作っていたものを、連作に入れるにあたって「口語新仮名」に変えるとか全然するし、わたしにとっては本当にそんくらいのものでしかない。わたしの短歌のわたしらしさを、その二軸の中で描くつもりはない。だからわたしは、今回の要項の変更は改悪だと思っています。意味がないからです。現代短歌において、その二軸は大きな意味をなさない。わたしにとって現代短歌とは、現代に詠まれた短歌である。ただそれだけです。

旧仮名は「正仮名」と呼ばれる向きもあるのだけれど、これは、新仮名が政府によって制定された非自然言語的な営みであるという歴史的背景から、旧仮名こそが自然で正しい仮名遣いだという考えからくるものです。わたしは、歴史やら伝統やらをやたら重んじる歌壇の空気はあんまり好きじゃないんだけど、まあいろんな考え方のひとがいる世界だというのは理解しているし、その隅っこでのびのびできるのがインターネット短歌のよいとこやね~と思ってるわけです。

問題が提起されてからしばらくして、運営が動き出し、文語・旧仮名を用いた作品は別の部門として募集することに決まりました。

わたしは、文語・旧仮名を用いた作品を要項で『失格』とする理由として、選者にそういう短歌を読み解く力がないと見てのことかなと考えました。まあ、知識が必要ですからね、選者には少し失礼かもしれませんが、新しいことをするためには多少の失礼はつきものでしょう。正直、それくらいしかわたしには理由が思い浮かばないのだけれど、そうなのだとしたら対応が遅すぎる。批判が出てから新しい部門を出してきても、批判をなだめようとしているようにしか見えないでしょう。

わたしは、口語詩句投稿サイト72hっていうサイトに投稿してたりもする(ここ半年くらいご無沙汰だけど)のだけど、ここは口語限定なんですよね。ここは、若い人の口語による詩歌に、新しい詩歌としての力を見出して、そういう方針で運営されているから「そういう場」として結構納得感があるわけです。今の場所にそこまでの納得感を求めるのは難しいかもしれないけど、それにしてももう少しやりようはあったと思う、というのが下につながる。

それが、特に変更の理由も説明せず『失格』という言葉を使ったということだ。そこに不信感を感じることは自然なことだと思うし、それをツイートした人に対して、「あえて強めの言葉を使った」とか「あなたには刺さったということですね」とかリプライしているのは本当に擁護できない。

わたしは、だれも傷つけない表現は不可能だ、という言説が嫌いだ。もっと正確にいうと、賛成であり、かつ反対だ。だれも傷つけない表現は不可能かもしれない。そう開き直るのは簡単だが、しかし、わたしは、もしかしてできるかもしれないと信じて表現することが、わたしの表現だと信じているから。

だから、まあ、わたしとしては、やりたいことはたぶんわかるけれど、やりかたがちょっとまずいし、配慮は全然足りてないという評価になる。そもそもお世話になっているプラットフォームでは別にないのでわたしがギャーギャー言ったってどうだっていいのだけれど、それにしてもちょっとな……今インターネットの短歌の世界で活発に活動されている方なだけにがっかりしちゃったなあ。

あとこれはちょっと話がずれるんだけど、というかこっちの方をそもそも言いたかったのかもしれないけれど、この騒動について、「文語が廃れていく」とか「短歌がだめになっていく」とか言っているひとがいて。わたしはそれがほんとうにいやで。

わたしは、わたしの表現を信じているから、

短歌は、言葉は、そんなにやわなもんじゃねえよ

想像して、いつか嵐が花野を渡る。暴力にうつくしさはないとあなたは言い切れる?/早月くら