さっき通話で「食べ物に対する感度が鈍いのではないか」という話をした。「これを食べました。美味しかったです」と日記に毎回書いてしまうという話を。いつも何を口に入れてもなんとなく美味しかったという記憶しか残らない気がする。無感動で食べているのかもしれない。何がどのように美味しかったという話ができない。言語化が苦手なのだろうか、それとも味に対する感度が鈍いのか。思えば私には持病があるので、毎食しっかりお腹が空くのもここ近年のことだし、食べ物の味をはっきりと感じる回数が増えたのも近年のことだ。そう考えると、そもそも美味しい食事の経験値が少ないのかもしれない。
練習のために最近食べたものを思い出しながら書いてみようと思う。昨日はコンビニに売っている四角に畳まれたクレープを食べた。パッケージにもっちり食感と書いてあるだけあって、折り畳まれて重なった部分は確かにもちもちしている。また中に挟まったホイップクリームとカスタードクリームが甘くてなめらかで美味しかった。二つのクリームの舌触りの違いが面白かった。細かなところは覚えていないが、もったりした方のクリームとなめらかな方のクリームの二つがあった。私は甘ければなんでも美味しいというので、これだけだと信用ならないかもしれない。
ご飯の方も思い出してみよう。昨日は残っていた天ぷらを使って天丼を食べた。お米の上にチンをしてしなしなになった天ぷらをいくつか乗せてタレをかけた。タレは麺つゆと醤油と砂糖を混ぜた甘めのタレをかけた。天ぷら粉を使って揚げただけあって、チンしてしなしなになっても天ぷらはそこそこに美味しかった。油をそこまで吸っていなかったからか、衣が薄付きだったからか。衣がベタベタしてなくて美味しかったような気がする。甘いタレがかかったご飯もよかった。甘い醤油の味のするご飯はいつだって美味しいと思う。でもどう美味しかったかと言われると難しい。油と塩分と砂糖と米だから美味しかった、って感じだ。
こうして書いてみて思う。今こうやって書いたことで、ようやくしっかりと味わえたような感覚がする。もしかしたら言葉にするまで私は感覚を受け止めるのが苦手なのかもしれない。だからそれまで味に対して感想がぼんやりしていたが、こうして書くことで感想がはっきりしたのだろう。これまでの日記も、もしかしたらしっかり書こうとするだけできちんと味の感想が書けていたのかもしれない。今気がついたので、早速今日からもう少し考えて日記に書いてみたい。いつか日記を見返す時に、未来の自分を喜ばせるために。美味しい描写はいつだって面白いから。