書いているうちに思考が深まって行く気がする。例えば今みたいに日記に書いているときとか。それまで感覚としてぼんやりと思考の海に漂っていただけのものたちが、書くことによって思考の形へと変化するようだった。感じていない訳ではないけど、言葉にしないとそれは霧散して溶けていくような心地がした。私が日記にこだわるのはそれが理由でもある。忘れてしまうのが嫌なのだ。自分が感じたこと全てを記録しておかなければ気がすまない。本当は考えたことを全てを文字にしておきたい。日々の何もかもを記録したいのだ。
思考が深まる気がする、とは言ってみたものの、私が考えていることは実は浅い。深く思考している訳ではないと思ってしまう。こうして日記を書いていても、思考の浅いところをちゃぷちゃぷして遊んでいるだけで、きちんと考えられていない感覚が常にしていた。もっと感受性を高めたいとも思う。センサーを敏感にして、さらに広くアンテナを広げて、さらにさらに情報や刺激を拾っていきたいと考えている。でも私のような過敏で神経質な人間がこれ以上刺激を求めても辛いだけなのでは、とも思う。きっと新たに刺激を求めるより、今抱えているものをしっかり味わう方がいいのだろう。思考と感覚と感情とは私が思うより身近で、親しくて、柔らかいものなのかもしれない。
今年はハードルを上げずに「とりあえずやってみる」「継続してみる」をイメージして頑張っていきたい。拙速を尊んでいきたい。何をするにしてもいきなり100点は取れないのだから。スピード感を意識しながらも丁寧に考えていきたい、感じていきたい。今日も少しだけ考えた。こういうことの繰り返しが一年を作っていくのだと思う。今年もきちんと生きていきたい。