形式は問わない, 自分が素晴らしいと感じるものに出会ったとき, 必ず初期衝動としての感情が生まれるだろう.
もちろん創作のためにその感情を分析するのは良いだろう. 創造のためには非常に有益な行為だ.
でも, 純粋に楽しむ気持ちをもっと大切にして良いのではないだろうか?
初期衝動を自然言語へ100%変換することはできない. 形式が異なるため, 必ずニュアンスの変化や情報の欠落が発生する.
でも, 記憶することはできるはずだ.
インターネット・世論上で"語彙力が欠落している"と形容されがちな <ヤバい>という語は, 実際のところ脳内感情へのポインターではないだろうか.
あえて言語化せず, 記憶とそのアドレスを示す記号へと留めることで, 劣化することはあれど変化はしないものとなる.
記憶の時間をタイム・トラベルし, <思い出す>という行為はきっと, すべての創作行為に対する力となるだろう.