羞恥心

いつから羞恥心が芽生えたっけ?

思い出そうとしても、思い出せない。

ーー

今日は、職場で「先生、ドラえもんね」

「ぼくのびた」と言われ、

突然、ドラえもんごっこが始まった。

ドラえもんの声真似…普段やらないなぁと思いつつ、まぁ…せっかく話題をふられたから、ちょっと声を寄せる。 

「のび太くん、どうしたんだい?」

ちらっと子どもにみられる。

…とても恥ずかしい。

(似てないね、先生と言われるのか…)

「…ドラえもん〜、このチーズみてみて」

(あ、許容範囲か…良かった)

「なんだい、のび太くん。どれどれ」

「じゃーん!(チーズからねずみが飛び出す)」

「うわぁああ(気絶のフリ)」

「ギャハハハ」

(うけた。ほっと一息つく。)

そのあと、このくだりを8回繰り返し、

今度は、先生ジャイアンやって、スネ夫やってと別のキャラクターの真似を要求された。

なりきろうとするものの、どこか恥ずかしい気持ちがあった。

約10分、物真似をした。まったく練習していない物真似の数々。アドリブがニガテな私にしては、結構頑張った。

喜んでくれるなら、ちゃんとした物真似のレパートリーをいくつか用意しないとなと思った。

中途半端で失敗するなら、全力で挑みたい。そう感じた。

ーー

小学四年生のときに、自由時間に教壇に立って、

「いまから長州小力のマネします〜」

とかみんなに披露していたワタシはどこへ消えたのか。あの頃はひとの笑顔が見たくて、進んで笑いをとりにいっていた。

いま以上にからだをはっていたなぁと思う。 

ーー

子どものころはふつうにできて、大人になるとできなくなることって結構ある。

おとなになると、失敗が怖くて挑戦できなかったり、プライドのせいで素直になれなかったり。

「〇〇だから、できない」って言い訳したり。

子どもたちをみると、素直だな。まっすぐだなって思うことが多々ある。

支援者、指導者って、一方的に支援(指導)するんじゃなくて、自分の行動を振り返ったり、逆にこちらが教えてもらったり、考えさせられたりすることも多いなと年々思うようになった。

大学時代、うんびゃっかいと聞いた、

【人と環境の相互作用】

この意味を歳を重ねるにつれて、深く理解できるようになった。

人に向き合うことは、自分に向き合うことで、人に関わることで、自分を振り返ることも出来るんだなって改めて感じた。

いつかわたしも、

(あぁ、昔こんなこと言ってたな先生。)

と思ってもらえるような言葉を送ることができる人になりたい。

@hotate3z
アウトプット練習。