「ネット怪談」というカルチャーに民俗学を適用しようとする妥当性に説得力がありすぎる。
情報が余す所なく記録されるインターネットにおいて、フィールドワークによって情報を収集していく民俗学との相性が抜群だというのは素人の自分にもよくわかった。
「うわさ」によって伝播していく伝承(伝説)のようなものと、共同構築されるネット怪談との類似性がものすごく実感を伴って読めた。
ネット怪談はナラティヴなものからデータベース化(バックルーム、リミナルスペース等)されたものへ変遷してきており、差別的な文脈を伴いがちな因習的な怪談が避けられるようになったことが理由のひとつになっていそうなのは興味深かった。
ネット怪談だけではなく、ネット文化の歴史そのものを追っていくような読み物としても面白かった。
部分的にさまざまな話に接続されていく『ヒサルキ』のような、オリジナルを辿れない怪談の「不穏さ」みたいな感覚が本書を通してストレートに言語化されている。
自分自身洒落怖を読み漁っていた時期があり、こういうネット怪談特有の求心力ってどこにあるんだろうなと考えたときに、本書の中で言及されている「不穏さ」は答えのひとつになりそうだと思う。
ただ自分としては本書でメインの話題を成している「共同構築されるネット怪談」に積極的に参加していたわけではなく、むしろ再媒介化された(まとめられて創作だと認知されている)ネットホラーとしての作品の方を楽しんでいた節があるなと思った。
民俗学でいうところの「古老」が、ネット文化においては「インターネット老人」になるのは笑った。
「3回見ると死ぬ絵」に「何回見ても死ぬことはないのだが」と淡々と解説しているところに笑った。
再媒介化(複媒介化、無媒介化)の視点はものすごく新鮮で、ネット怪談だけではなく、ネット文化そのものに対して新しい見方をくれた。