実は大まかなストーリーは聞き及んでちらほら知ってしまっていた『ぼくらの』が、期間限定無料解放されていた。『ぼくらの』はゼロ年代SFの代表作とのことで、せっかくの機会だし教養として読むか〜くらいのモチベで読んだ。『宝石の国』も無料期間に途中まで一気に読んだ実績があり、どうやら自分は鬱漫画(と言われている作品)をオーバードーズする癖があるらしい。読んでみた感じ、『ぼくらの』は鬱作品として括らなくても物語としてとても面白かった。同作者の『なるたる』の方が鬱度としては圧倒的にヤバそう。
余談にはなるが、なんといってもアニメOPの『アンインストール』がこの作品を象徴している。というか鬱っぽい雰囲気に拍車をかけている。冒頭のアーエーオーエーアーエーという神話的な旋律が、もう取り返しのつかない塊を横隔膜あたりから生み出してくるような感覚になる。エヴァの『魂のルフラン』とかエルフェンリートの『Lilium』系統。そう言えば昔よく友達がカラオケで歌ってたな。
この作品(というか鬼頭作品全般?)、登場人物たちが感情をあまり爆発させず妙に冷静で、無機質なアトモスフィアで作品が覆われている。これが物語の中で突きつけられる残酷な事実を静かに際立たせる効果を生んでいるような。
ダイチ、モジ、マキ、コモ、カンジ、カナパートが好き。あとウシロとマチが回想のように犠牲になっていった登場人物たちの家族を訪ねて回っていくシーンがとても良かった。
物語を形作る大きなテーマの一つとして、「一人の命を犠牲にして多数を救う」という最大多数の最大幸福みたいなものがあるんだろう。
「ジアースvs謎の敵」という構図が、巻き込まれる人々の命を天秤にかけながらどんどん拡大していく。そして、相対する敵が並行世界の“別の地球”の人類であると明かされたとき、命の価値は限りなく相対化され、「どちらの世界にも正義がある」という状況にまで到達する。子どもたちに背負わせる運命としてはあまりにも重い。辛い。最終的にウシロが選択した行動は、倫理とか尊厳とかそういった概念で語りきれない何かがあり、正しい正しくないの次元を超えている。
こうやって物語がスケールアップしていくにつれ、命は「不特定多数」で扱われるようになり、消えゆく個人の存在が匿名化されていく(戦いに巻き込まれる住人、それを守るために犠牲になる国防軍、平行世界の地球人類など)。それに抗うように物語は一貫して各キャラクターに章を割き、個別の物語として命を描き続けている。この構成は、命の相対化に流されず、一人ひとりの選択と尊厳を掘り下げるための装置となっていると思う。