『ビット・プレイヤー』収録。
寿命を克服した生命の生きる目的についての話
数万年単位またはそれ以上の年月を生きる者の、精神の弾性(変化のなさの度合)の話
スケールのデカいSF
だったと思うので、これは一億年のテレスコープです。
冗談はさておき、いや〜ほんと春暮氏はイーガン好きなんですねぇということの根拠にできそうな作品のひとつ。で、今のところ『ビット・プレイヤー』で一番おもしろい。しっかりハードSFだったし。(ビット・プレイヤー、正直言うとこの話にたどり着く前にけっこうな人が挫折しそう…いや、逆か…?もうわけわかんなくなっている。)
融合世界("こっち側"の世界)が、バルジの中でひたすら沈黙を貫いている孤高世界と呼ばれる領域(?)について探求していく話にもかかわらず、孤高世界のことはほぼほぼ何もわからないまま物語が終わる。知的好奇心だけが刺激される深遠な謎がずっと中心にあって、その周りを融合世界がとりまいている状況。だからこそ、逆に融合世界の存在が際立っていた。
融合世界の多様な生命たちが、孤高世界の謎を解明しようとみんなで手を取り合う感じはとてもイーガンだっだし、春暮康一だった。
けれど、ふたりがまだ自分自身のままであるいまが、止まるべきときだ。経験によって大きくなってはいるが、見分けがつかなくなるほどに姿が変わってはいないうちに。
精神の弾性の話で言うと、ラストあたりの↑とかはまさにその終着点で、精神が可塑性のフェーズに踏み込む前に生を終わらせるというSFならではの内面的ヴィジョンの喚起だったように思う。一億年のテレスコープよりも一歩踏み込んでいるというか。人生の80年単位での内面変化なんてこの人たちからしたら誤差。
あとは、孤高世界の中で放置プレイ(?)されているリーラが、「ジャシムならどうする…?」的なことをずっと考えていて、どんだけお互いを思い合ってんだよ!おまえら何歳だよ!?となる。まあ、いつまでたっても人って変わらないんだな…というね。愛だね。こういう描写は読者に自分事と捉えさせる力があり、ちゃんと現実と接続させてくるなあと思った。