長文をあえて書く

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公開:2025/3/5

しずかなインターネットにだらだらと文章を書くようになってしばらく経った。もっぱら読書感想が中心になっている。読んでくれている方がどれだけいるかわからないけれど、いつもありがとうございます。

学生時代になぜあんなにも苦痛だと思っていた「文章を書く」という行為を自らやっているのかというと、それはもう好き勝手に書けるからだよね。制約下で書く文章と自由に書く文章、それぞれに難しいところがあるものの、後者の方がやっぱり楽しい。

以前noteをやっていたことがある。「いいね」と「フォロワー数」が表示されるSNSベースのプラットフォームなのがちょっと食傷気味になってしまい、今はもうやっていない。長文出力はそれなりに労力を使う行為であり、「いいね」で評価が可視化されてしまうことで、なぜか「書いたけど、で?」みたいな虚脱感が湧いてくるようになってしまった。長めの文章を書くという労力に反して評価されるまでの手軽さにけっこうズレがあって、note全体に漂う営利的な香りもちょっとな…となったのがやめた契機のひとつだったかもしれない。

しずかなインターネットは、「読まれているかもしれない」くらいの塩梅がとても心地よく、虚無感なく今のところ楽しく続けられている(見事にコンセプトに乗せられている)。公開範囲を「自分だけ」にできるのもいい。「自分に向けて公開する」ということになるわけで、承認欲求を満たすというフェーズを経ずにアウトプットしたという満足感が得られる。小っ恥ずかしい言い方をすれば自分と向き合う時間みたいな。それと、「自分だけ」の記事は感情の発露として使えるのでなかなかのストレス解消になっていたりする。

ここで、しずかなインターネットの記事のリンクを短文ベースSNS(X、Blueskyなど)に貼る行為はnoteと何が違うのかを考えたい。Blueskyは人が少ないし、オープンだけどコミュニティっぽさがあるので全く問題ないと思うけれど、Xというこの世で最もしずかでないインターネットに向けてあえて放流させる人を自分以外に見たことがないので、しずかなインターネットのコンセプトに逆行しまくっている特異点が自分である。やはりすべてを狂わす承認欲求。ただ、noteと違って書いた文章そのものに「いいね」がつくわけではなく、あくまでその外枠(こういう文章を書きましたよという事実)に「いいね」がついているところが違うんですよ、とお茶を濁しておきたい。

ここで言うことでもないけど、Blueskyで繋がっているFFさんの文章は見つけたらできるだけ読むようにしています。皆さん尊敬できる書き手なので。いやほんとに。

@hotwater
本と生活感のない話の続き