春暮康一『一億年のテレスコープ』ネタバレあり感想

·

個人的にいま一番気になっている作家、春暮康一さん初となる長編『一億年のテレスコープ』を読んだ。これからのSFのスタンダードになってほしい傑作だったので、つらつらと感想を書いてみたい。

⚠ネタバレをしています⚠

総括

『一億年のテレスコープ』は、「滅びの欲求」にどう折り合いをつけるか、どう抗うかという物語だったのかなと思う。また、無窮と信じていた世界がそこで終わってしまうとき、あるいは自分ではない誰かによって望みが達成されてしまっていたとき、探求心の向かう先や生きる意味をどこに見出すのかという物語でもあったと思う。「滅びの欲求」、「文明を蝕む停滞という呪い」は、極大スケールの物語の中でしか発生しえない事象であって、80年という有限をどこかいつまでも続くものと勘違いして生きている我々にとってはどうやっても手の届かない悩みである。けれども、『一億年のテレスコープ』という物語を自分の人生のスケールまで圧縮してみると、今まで経験してきた切なさと前向きな気持ちがどこかオーバーラップしていた。

全体としてもSFの魅力が詰まりに詰まっていて、実にSFを読んでいてよかったなと思える作品だった。


時間と距離の解決

まず、物語上鍵になっている理論というか技術について、自分の頭の整理のためにもまとめておく。

超長基線電波干渉法:VLBI(Very Long Baseline Interferometry)

※Google検索(生成AI)による安易な引用

VLBI(Very Long Baseline Interferometry)とは、超長基線電波干渉法の略で、天体からの電波を利用して地球上のアンテナの位置や地球の回転などを高精度に測定する技術です。

VLBIの仕組みは次のとおりです。

  • 数十億光年の彼方にある電波源(クエーサー)が放射する電波を、複数のアンテナで同時に受信する

  • 受信アンテナ間の到達時刻差を解析する

  • 数千km離れたアンテナの距離を数mm程度の誤差で求める

VLBIの応用には、次のようなものがあります。

  • アンテナ間の距離の変化(プレート運動)や地球回転の測定

  • 地球規模の直径をもつ望遠鏡として構成し、光学望遠鏡では観測できない天体(ブラックホール等)の詳細を高分解能で観測する

地球規模では現実でもすでに実用化しているという事実にも驚くが、『一億年のテレスコープ』では、太陽系(またはそれ以上の)規模の直径を持つ望遠鏡として構成されるVLBIネットワークが登場する。遠くを見るために望遠鏡自体をどんどんデカくしてしまえばいいじゃないかというなんともゴリ押し感のある理論だけれど、これにより超超高分解能で遠くが観測できるという理屈だろう(ととりあえず理解した)。さらに作中では異種文明にコンタクトし、その種族のVLBIネットワークを使うということを連鎖的に繰り返して「梯子」をかけていく。つまり、恒星間規模でさらなる遠くを観測する試み、「遠くを見るために遠くへ行く」のである。

果てしない宇宙の広さを進んでいく物語のため、このVLBIネットワークの応用の応用の応用が、人間が扱える距離と(時間)の尺度を拡張するための舞台装置の一つとして機能する。

アップローディ

一方、距離だけが大きくなっても人間の寿命は有限にもほどがあり、そこにたどり着けなければ意味がない。人間が纏う時間の方を(物語的に)解決する手段として、「アップロード」という技術が登場する。「アップロード」した人々は作中で「アップローディ」と呼ばれている。

アップロードは「量子状態を含む情報構造全体を生体脳から取り出し、意識をなめらかに別媒体に転送する技術」と言及されている。作中ではさらに細かい技術が間に入るのだが、とりあえず僕は「精神アップロード」なんだな、とできるだけ単純化して読んでいた。

これはSF小説では非常にお馴染みのシステムだろう。初心者の僕でさえ『順列都市』(イーガン)の〈コピー〉を真っ先に思い浮かべた。この「意識を移し替える」という行為はとりわけ、意識とはなにか?自己とはなにか?という哲学的な問いを簡単に吐き出すので、これだけで1本作品が書けてしまうほど主要なSFのテーマの一つになっていると思う(し、個人的にそういうSFが好き)。ただ、『一億年のテレスコープ』では、そのあたりに少し言及はしつつも、あくまで時間を拡張するための舞台装置にとどまっていたと思う。アップロード前後で同一体であるということは前提としてサラッと進んでいった印象。

これにより主人公たちは実質的に不老(死という概念はあるようだった)となって時間という絶対的な壁を克服し、広大な宇宙へ観測の旅に進んでいくことができるというわけだ。

SF小説としての訴求力

僕個人としては、SF小説というものは現実離れした要素でどれだけ読者をワクワクさせることができるかが面白さのいち基準だと思っているのだけれど、『一億年のテレスコープ』の冒頭は満点。SFマガジンに先行掲載されたとき、傑作を確信した。「大始祖」、「ブラックホール」などのSF的訴求力の高いキーワードが登場しながら、遠未来の、ある(正体不明の)母子の旅を描き始める。これが物語という乗り物の推進装置としてこれ以上なく機能していた。

基本的には「現在」の時間軸を中心に物語が進んでいくものの、度々挟まれる「遠未来」、「遠過去」パートが、はじめは何の記述なのかがわからないながらも道標となって謎を追うような面白さを生んでいる。それが後から徐々に判明していく段階的な面白さもリーダビリティを高めているような気がする。

「現在」で、望、縁、新が刻んだ自身を表す文字を「遠未来」で母子が解読するシーンはほんとに最高。

異種文明とのコンタクト

遺伝情報をアイデンティティとして持たない種族〈ブラニアン〉、孤独相と群生相をある間隔で転移しながら生きる種族〈グッドアーサー〉など、VLBIネットワークを広げるため主人公たちは様々な文明とコンタクトをとっていく。特に〈グッドアーサー〉パートは、これだけで短編一つかけてしまうほどの驚きと知的好奇心に満ちた結末でびっくり。

さらには滅びてしまった文明の跡地で、その文明の形で独自に保存されたストレージから観測情報を引っ張り出し、「時計を合わせ」ていくのである。SFならではのこういう星間旅行パートは、読者の頭にまだ見ぬ情景を映し出すという意味でSF作家の創造力の発揮しどころだ。春暮作品は生命工学の知識をふんだんに用いた生物学的なSF考証が頭一つ抜けているので、写実立体的で実際にその文明を観てきたかのような近さで記述される世界が眼前に現れる。

『法治の獣』など、春暮作品では度々主要なテーマにあげられる、接触【コンタクト】と衝突【クラッシュ】の葛藤は本作でも健在。未知なる文明に人類が安易に接触してしまった結果、取り返しのつかないことになってしまったのではないか。VLBIネットワークを広げるために文明に片っ端から接触し、不可逆的な変化をもたらす侵略者(バーサーカー)になっているのではないか。通底するこのテーマは、SFでこその、というかSFでしかできない問題提起だろう。

亡霊星

『一億年のテレスコープ』の旅の終着点である「亡霊星(ファントムスター)」。「遠くを見たい。」という純粋な欲求を極限までつきつめて行った先にある特異点。まあSFを好んで読んでいる身としてはこんなにワクワクする設定はない。

複数の文明の観測情報を繋ぎ合わせなければたどり着けない「観測すら普通にさせてもらえない星」。この「観測すらさせてもらえない」で思いつく物理学的な現象(物質)といえばブラックホールだろう。そんな読者の予想など見通していたかのように「亡霊星」の中に存在していたそれは、主人公に希望と失望を叩きつけ、今後の運命を大きく決めるものであった。

そして、『一億年のテレスコープ』という物語の核心の核心へ到達する。この核心部分はある意味でSFの王道なのかもしれないが、まずもってスケール感が段違いであり、王道だからこその感動が待っている。「現在」「過去」「未来」がすべて接続されていく美しさがそこにはある。

円環が閉じた先で、望が最後に発する一言にはとても勇気づけられる。

また余談になるが、「ブラックホールの事象の地平面では、相対論効果によって時間が無限に引き伸ばされているため、もっとも不安定な量子ビットでさえいくらでも保存しておける。この世でもっとも長持ちする情報ストレージだ」というアイデアは今までのSFにもあったものなのだろうか。個人的にここにとても理系心をくすぐられてしまった。

あとは、ベツレヘムの星がこのファントムスターから放たれる光子流であったというちょっとしたサプライズも楽しい。

精神の弾性と可塑性

現実を生きる人間からすると永遠とも思える時間軸を描く物語であるにも関わらず、(ある時点以降を除いて)主人公たちの精神性はあまり変化が見られないように思えた。ここは自分としてはけっこうキモの部分なのかもしれないと思っていて、例えば主要登場人物の望、縁、新の関係性。これは物語上の都合もあるかもしれないけれど、最後まで変わらない3人の掛け合いがとても心地よい。

もう一つ個人的にとても良かったのが、主人公の望とその父との会話だ。飄々とした空気感を持つ父から「遠くを望む」という、自分の名前のルーツを聞き出すシーンがある。この物語の時間幅からすればごく短い時間の出来事だが、それが最後まで『一億年のテレスコープ』という物語自体のテーマになっている。

終盤、〈客人〉が精神の弾性vs可塑性を語って、「弾性」のほうが優位と結論づける場面がある。これが普通の人間であったときの父子の会話にも繋がっているような気もしてなぜか勝手に心打たれてしまった。

余談だが、この父子のやり取りは「遠未来」パートの母子のやり取りと対比、というかセルフオマージュみたいな構造になっていると思うのは考えすぎ?(笑)

既存の作品との関連性

発売前に「イーガンやレムに肉薄している」という編集者さんの評を目にしていたからか、どうしてもイーガンの『ディアスポラ』を思い浮かべてしまった。

たしかに似ているところはあるかもしれない。けれど、『一億年のテレスコープ』の方がはるかに読みやすかった。読み終えたときに感じるカタルシスはどちらも圧倒的であることは間違いないと思う一方で、微妙に趣の異なるものではないかとも思った。

@hotwater
本と生活感のない話の続き