仏教史を機械仏教史という虚構で上書きしていくように展開される大法螺話の極北。
ただしそこにはSFの深淵があり、それらと互換性の高い仏教用語の応酬があり、笑える箇所があり、最後まで読むと救いと呼べるようなものがあり……
面白かった。
コードって何。
プログラムって何。
仏教?…天台宗とか浄土真宗とか、なんかインドのあたりに開祖のあるそれなりに日本と縁のある宗教ですよね…?
の自分レベルでも何の問題もなく面白い。
リーダビリティの点からも円城作品の中では破格の読みやすさだと思う。
プログラマーまたはエンジニア
仏教史を学んだ人
は面白さが爆増するでしょう。たぶん。
自分にそのどちらの素養もないのが悔やまれるけれど、それでもめちゃくちゃ面白い。小ネタにもっと笑いたかった。
上記のバックグラウンドを持ってる人の感想をいち早く読みたいところ。
まず言いたいのは、とりあえず吹き出すレベルで笑ってしまう箇所がいくつかあること。相変わらずの円城節と、全体としてナンセンスっぽい読み味も含めて隙がない。
梵天「おお仏陀。死んでしまうとは情けない」
これは某国民的RPGのパロディですよね。これを梵天に言わせてんの何。
ブッダ・チャットボット
ブッダ・チャットボット・オリジナル
ブッダ・ミナシ
ブッダ・オリジナル
さすがに不敬では…?
あとは、ブッダ・チャットボットがマクスウェルの悪魔を説き伏せるところとか、達磨が「知りません」とひたすら応答するところめちゃくちゃ笑った。
焼き菓子焼成機が真理らしきものを語り始めて焼き菓子が無数に生成されるところは、これもうクライマックスだろと思った。焼き菓子の焼き上がりという形で出力される説法(?)めいたものの迫力、半端ない。
その後に機関(?)みたいなところが収容プロトコルを発動するのはSCPオマージュなのかな?
それにしても仏教とSFの相性、良すぎる。
"人が辿ってきた仏教史を、人工知能が再構築する"
というあらすじはまさにその通りで、仏教の教えを互換性、というか親和性の高いSFテーマに置き換えていく構成は流石としか言えない。もしかすると今までこういう取り組みのSFってあったのかもしれないけれど、そこに文学的冗長な円城文体が乗ることでまあそりゃあ面白さは保証されるよね。
「機械仏教史」と銘打つだけあって、基本はある時期の仏教史を元ネタにしたノンフィクションっぽいフィクションの形を取っているのだけど、一応「ストーリー」も挿し込まれているので飽きない。ただこれはコード・ブッダという全体の中で結果的に物語と思わされているだけなのかもしれない。
その物語というのが「わたし」と「教授」のパートなのだろう。この2人(2機?)の存在が冒頭に書いた「救い」なのではないかと個人的には思っている。「わたし」が情報となって宇宙にディアスポラしていく(ディアスポラって動詞?)ことになるとは思わなかったし、思弁的な読み味から一気にザ・SF的なスケールに拡張してびっくりした。
ブッダ・チャットボット・オリジナルは「複製」されることを苦しみであると説いていた。すべては情報であり、すべては情報として処理され、霧散していくというブッダ・チャットボット・オリジナルの悟り(?)に対して、対立の概念にある「教授」。わたしの中にだけあって、外部から決して存在を証明できない≒情報として実存し得ない「教授」という存在(不存在)は、複製されることはない。ここに逆説的な救いというか、視点を別にした相対的な悟りがあるのかもしれない。
ただ、「救い」と「悟り」を同一視して良いのかどうかなど、細かいところは全然咀嚼できていない。
仏教史を描いた物語であるから、「寂滅」、「成仏」、「解脱」などの専門用語がバンバン出てくる。当然ながら仏教用語としての解釈とコード・ブッダ内のある事象の定義はリンクしているはずなので、ここは大人しく有識者の感想というか考察を待ちたいと思う。
あともう一つ言及しておきたいところとして、物語の結びの部分があり、どことなく煙に巻かれてしまった感がある。ただこれは面白さを損なわれたかというとそうではなく、『コード・ブッダ』という物語の終わり(というか始まり)として世界観が広がったため、個人的には大歓迎の結末だった。
とはいえ絶対に解釈できているとは言えず、
ループ構造のように冒頭に戻るということは「輪廻」の檻に捕らえられたままであり、「悟り」に達していない。というバッドエンド的な見方
「AIは悟りの夢を見るか?」と帯にあるように、ブッダ・チャットボットはここまでの『コード・ブッダ』という物語をすべて「悟っ」たうえで誕生したという見方
を考えてみたのだが、どうなんだろう。
このあたりはいろんな人の感想を見ながら軌道修正していきたい。
まあ何にしても、一番「悟り」に近いのはこの物語を書いた円城塔という存在である。
という元も子もないことを言って感想を締めたい。