世の中に溢れている、小手先の技術。
Instagramの投稿や、無形商材。
一体そのなかで本当に人生に重要になるものとは、どれくらいあるのだろうか。
一冊の本にまとめられているもののほうが、何人もの人が関わっている。
時間もかけて、練られている。
それなのに、分厚い本でも一冊3000円ほどである。
そのことを鑑みると、どれだけ私たちのほしい情報は価値があるのか、今一度考えてみたいと思った。
例えば、カルディで売っているお茶パックが1000円を超えてくると買うのを躊躇するのに、インターネットの情報が1000円だと、安いとなる。
その情報は、確かにいっぱいあるかもしれない。
しかし、どれだけ頭に叩き込めるのだろうか。
キャパシティを考えないように思う。
何に使えるのだろうか。
生活に直結する情報、それは本当に正しいのかすらも怪しくて、そのレシピは作るとは限らない。
実際に、みて満足したことが幾度とある。
なんで、購入したのだろうかと思うものが、今までたくさんある。
購入するときは、あんなにも必要だと思ったのに。
購入を考えるときは、何かと理由をつけるのが私たちは上手。
これを得たら、未来はこうなるだろう。未来は明るいだろう。
では、現在は?今は何ができているだろう。
今の状態に、その知識があると役に立つならば、それはとっても意味のあること。
何もないのにもかかわらず、何かスキルを学ぶと何かができるようになると思う。
それって、実は少しずれていて。
今やっていることが、こういうことだから、あれを目指して今はこんなことをしているからこそ、
何かスキルが身につくことで、ちょっと良くなるだろうというその、『ちょっと』を買う基準にするの。
何も大きいものは望んではいけない。
その情報に頼ってはいけない。
そのことを、心に留めておこう。
そして、原点に戻って、今、周りにあるものに目を向けよう。
物が溢れていないかどうか。
何を手放せるか。何もない状態にどれだけ戻れるか。
本当に本当に、必要なものだけを周りに残してみる。
その状態で、心がシンプルに考えられるようになった状態で、考えてみよう。
ということで、断捨離ですね。
心が本当に必要なものを見極める力というのは、生活の場がどれだけ整理整頓できているかなのだと感じる。
シンプルに生きたいならば、シンプルに暮らそう。