ソニーがプレステのゲームをPlayStation Storeで独占的に販売しながら販売価格の30%を手数料として徴収するのは違法であるとして最大1兆2000億円の集団訴訟に直面する危機
このニュースを見たとき、「ゲームとはそういうものでしょう」と思いました。そもそも、あるハードのソフトを出すときに販売元はハード会社を通してメディアを製造していたのだから、その部分が仮想化されてオンライン販売になってもプラットフォームに支払いをするのはそういうものでしょう、と。
一方、アップルがApp StoreからしかiPhoneにアプリを入れられない状況に対しては「そんなのはおかしい」と思っていた自分を思い出しました。WindowsやmacOSのアプリのように、自由に選んで導入することができるべき、という考え方。
この両者、比べると同じようなものであると気づきました。「iPhoneとはそういうものでしょう」と言われたときに、「まぁ、そうだね」となるべき…?それとも、App Storeのようにソニーは優位な立場から独占的に手数料を徴収しているのでおかしい、となるべき…?
もう少し考えたら、両者については自分の中でそれぞれ違う前提があることに気づきました。WindowsやmacOSについては自分もソフトを作ったことがあり、それの延長線上にあると思っているiOSについても "自分が作ったソフトを" 自由に導入したいと思っています。一方で、ゲーム機に対してはそういった経験がないし、基本的に "ゲームは与えられるもの" なのでどういうふうに配布されるのかにはあまり興味がない、ということです。
つまるところ、自分の場合はApp Storeについて商売としての不満はなく、そのハードでソフトを動かすのに必須の通過点になっていることに不満がある状態。だから、アップルもソニーも間違っているとは思っておらず、個人制作について寛容であってくれればいいだけだというのが自分の気持ちのようです。
まとめると。自由に配る・動かすをさせてほしい。ただし、商売するのならプラットフォームの定義に従うべき。