自己嫌悪と後悔で耗弱しきった精神は長い間低いところを飛んでいる。しなければならないことに限って全く手につきやしない。オートバイだかなんだかの重低音が夜の冷たい風に響く。不快な振動は心臓を縮ませる。他のまともな人が羨ましい、と思う。この散らかった頭さえまともになればと思う。人の顔さえ碌に認識できない。
しかし普通とはいったい何を示しているのか。なんとなく把握できている場合でさえせいぜい数親等に過ぎないというのに。つまるところ世間の顔を裏切る覚悟が不足しているのだと思う。議員だのお大尽だのは天上の世界で、あくまで一介の市民だから、本当は住むところがあって、食うのにこまらなければ万々歳でよいくらいなのだ。そもそも栄誉や名声があったとて余程のことがなければ地元の名士止まりに過ぎない。人の命はあまりにも短い。
多分幼い頃からの親族の期待を曲解しているのだ。テストは間違えなければ良かった。小さい中学校の箱庭に居た。将来なんか考えなくて単に無知で無邪気だった。高校に進学して、ずっと願っていた落ち零れの方になって、計り知れない能力をもった級友に囲まれた。皆それぞれに努力をして羽ばたいていくのだ。飛んでいく彼等より卑屈な希望を持つことが惨めなのか。今自分は、間違えること、道を違えることが堪らなく怖い。
いや、天人を見上げても嫉みの感情なんて巻き起こらなくて、それは只の堂々巡りの嫌悪にすぎないのだ。それに人間はみな何らかの悲しみを持っているものなのだ。キーボードを打つ指も重くなるような、そういう類いの自意識が未だ静かに燻っている。一体お前は何様なのだ、一人前に生きているのであれば何の期待を裏切ることになろうか、とも思うのだけれど。