本棚整理

ひゅう
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本棚の整理に手をつけた。よくやった。

我が家の一般書籍を詰めた本棚は全て安いカラーボックスで、どうせ生きてりゃ本は増えるとゆとりをもたせていた部分が少しあった。そんな隙間に置いてみていた小物類を退かして、本で埋める作業。

どうせやるならいろいろぴったりさせたいタイプなので、幅が合わないとシリーズごと大掛かりな移動も辞さなくなる。置いていた小物類の埃を取る作業も並行して発生する。とはいえ今回はそこまで大袈裟な作業にならずに済んだ。処遇に困った小物類を一旦見えないところにまとめて押し込んで終わらせたからだけど…

そうして整えたささやかな本棚を眺める。私は漫画アニメ禁止、ファンタジー禁止という家庭環境で幼少期を過ごした。(禁止事項はそれら以外にも多岐にわたる。)本を一冊買ってもらうにも内容に問題はないかと確認が入る。子供ながらに納得できなかったけど、そんなことばかりだと億劫すぎて子供のこちらも当然ながら忖度を始める。読書が好きなわりには自宅に所持している本は少なかった。図書館があってよかった。

諦めを通り越して、そういうもんだという認識の人生になってしまっていた。成人後、自分で手元にどうしても置いておきたいと選んだ漫画を買って、そのうえシリーズを買い揃える努力をしてもいいのだと改めて実感した時は、感動というよりは違和感でいっぱいだった。なんなら今でも、自分が読みたい本を買っていることになんとなく可笑しさを覚える。あんなんだった自分が、こんなんしとるわ笑 みたいな。

可笑しさが込み上げるのも無理はない。今の私の本棚に詰め込まれた小説、漫画、児童書、私が好きでテンションが上がるからという理由により各段の手前側(スペース有効活用のため各段奥側にも並べて2列体制をとっている)にディスプレイ兼ねて並べられている本のほとんどがファンタジーものなのだ。明快すぎていっそ壮観である。そのどれもが骨太で素晴らしい作品であると、自分の意志で、心から自信をもっておすすめできる嬉しさ、誇らしさは、言葉にするのが難しい。

よく言われるような、幼少期に禁止されていた反動、というものが実際どれほど存在するものなのか正直私にはあまりわからない。元々好きになれるはずだったものが偶然禁止されてしまっただけかもしれないし、しかし元からそれが好きだったかどうかを後になって確認することは自分自身にさえ不可能だと思うから。反動がゼロだとも思わないし、拗れることももちろんあるし。人間は各個人が非常に複合的だ。それだけは確か。

ファンタジー作品が幅を利かせる我が家の本棚に近年、たいそう現実寄りなスポーツ漫画が2作品、突然現れた。そのひとつがSDである。

改めて本棚全体を眺めると、現在最も手に取りやすい段に(もちろんその手前側に)並ぶ新装版SDのひとかたまりはおもしろいくらい異色な存在になっている。購入に至った要因はいくつもあるなかで、スポーツとして現実に肉薄しているところがとても好ましく感じられたのは理由の一つとして大きいように思う。尚、突如現れたもう1作品はおお振りである。作品をご存知の方にはもしかしたら前述の言わんとするところというか傾向というか、なんとなく汲み取っていただけるものがあるかもしれない。

幻想世界であろうと現実世界であろうと、登場人物がそこで生きている、と思えるものが好きな気がする。だからジャンルとしては異なっていても、私の中ではこれらはみな同列な位置にいる。およそそういうことなんだろうと思う。なににせよ私の本棚なんだなあと、呆れ半分、嬉しさ半分という感じだ。

ちなみに我が家は同性愛も禁止だった。禁止による反動というのがどれほど存在するものなのか、私にはわからない。