1/17に開催された第一回ナナイロ歌会に参加させていただきました。
歌会前に詠草を読んで書いたメモを共有させていただきます。
歌会はほとんど初めてだったのですが、とても楽しい時間を過ごすことができました。主催の銀霖さま、参加者のみなさま、ありがとうございました!
五線譜をいつもはみ出す獰猛な私の歌を纏うけだもの
棗巳波さんからZOOLへの歌かなと思いました。
上の句は〈私〉にも〈私の歌〉にも〈私の歌を纏うけだもの〉にもかかっているように読めて、重層的な読み心地です。
〈五線譜をいつもはみ出す〉がかっこいいです。決められた枠をはみ出していく能動的な意思と、どうしたってはみ出していく在り方をしている私や私の歌というニュアンスのどちらもあると思いました。〈五線譜をいつもはみ出す獰猛な私の歌〉とありつつ、一首としては定型にきっちりとおさまっていることで、〈けだもの〉がそれをぴったりと着こなしている誇り高い姿や、〈私の歌〉に拮抗できる〈けだもの〉自身の獰猛さも感じられます。
〈けだもの〉が〈獰猛な私の歌を纏う〉ことができるのは、〈けだもの〉自身にも、その歌の激しさと対峙し、取って食われることなく、乗りこなすことができる獰猛さがあるからなんだろうと思います。〈五線譜をいつもはみ出す獰猛な私の歌〉には、きっと〈五線譜をいつもはみ出す私〉自身も現れているのでしょうが、それをぶつけてもいいんだという〈けだもの〉に対する〈私〉からの信頼があるなと思いました。
一方でこの〈けだもの〉はひらがなに開かれています。ひらがなのやわらかさで、漢字の「獣」よりも無垢で傷つきやすそうな感じがします。〈けだもの〉は本能と理性、野蛮と文明、混沌と秩序などを象徴して人間と対比されることがあるモチーフですが、その猛々しさよりも、生身の感じ、飾らないそのままだからこその、力強さと表裏一体である脆さのほうの質感が込められているように感じました。〈獰猛〉や〈纏う〉との強いコントラストが印象に残ります。
〈纏う〉の言葉選びと、漢字の存在感がかっこいいです。この一単語が前後の要素どちらにも質感を与えていて、〈けだもの〉は誇り高く、〈私の歌〉のたたずまいは艶やかで重厚になっています。
パレードの先頭に立つ 手の中にひかる覚えたての転び方
IDOLiSH7の「THE POLiCY」と3部の二階堂大和の歌だと思いました。
〈パレードの先頭に立つ〉ということは、祝福でもあるし、一方で、不可視の状態から誰の目にも留まる状態へと躍り出るという緊張感のある行為でもあります。そのあとに〈手の中にひかる覚えたての転び方〉と続いていて、〈手の中〉というミニマムなところに視点が移ります。〈覚えたての転び方〉は実際に手の中に握ることのできる物理的に存在する固形物ではなく、従って〈ひかる〉っていうのも観念的なことだと思うんですけど、だからこそ、〈手の中にひかる覚えたての転び方〉と感じている主体の感慨や想いの存在を強く感じました。転んでいる間に与えられてきた無数のものがあって、それを大和さん自身が受け取ろうと思えるようになったからこそ他者の手を取ってまた立ち上がれた=転び方を覚えられた(習得できた)んだと思います。その他者が自分にしてくれたことや、その根源にある自分に対する親愛、自分を罰しながら生きなくてもいいという認識の変化など、そのすべてが確かに自分の手の中にあると思うことができて、さらにその形ないものにかがやきを見るのは、主体自身がそれを大切なものだと認識するからこそですよね。パレードの先頭に立っていても、他者の存在と安心を感じている。それがひかって発する熱を手の中に感じている。
この世界に自分自身として現れるというのはすごく難しくて勇気がいることだけど、大和さんはきっともう大丈夫なんだなと改めて思える歌でした。
私たち、孤独の毒の部分と言えばあなたやさしく笑うから
〈私〉はきっと棗巳波さんだろうなと思うのですが、〈あなた〉が誰なのかは保留にしています。おそらく桜春樹か、ナギか……。
ユーモアと皮肉を交えた言葉を発する〈私〉の泣き笑いのような表情と、痛みと強がりがひしひしと伝わってくる歌でした。
〈孤独の毒の部分〉とあります。孤独にも薬のように役に立つ側面もあるでしょうけど、主体は、〈私たち〉は〈毒の部分〉だと言っているんですよね。言葉遊びでありつつ、きっと実感でもあるのでしょう。主体の発言をうけて、〈あなた〉は〈やさしく笑〉いました。〈あなた〉と〈やさしく〉はひらがなになっていて、歌の中で白く発光しているようなはかなさと眩しさがあり、やさしいのに、むしろ心に鋭く突き刺さってくるような感触があります。助詞が抜かれて畳みかけてくるような口調からも、〈私〉の中でこみ上げている感情がこちらに迫ってくるようです。歌の最後は〈笑うから〉という言いさしになっていて、あなたの反応を受けた主体の感情が輪郭をもたない状態で示唆される形になっているのがいいなと思います。句跨りが複数あるどこかほつれたようなリズムも、渦巻く想いを胸中にあふれそうなほど抱えている主体の状態を表現していると思います。
遠くなる日々にも歌があったからいつでも思い出せるあの虹
アイドリッシュセブンという作品のことであり、誰かにとっての歌のことであり、アイドルのことであり、ファンのことであり。 虹は作中でアイドルの在り方を例えるものとして用いられますし、七色、というところに着目するならアイドリッシュセブンというグループを象徴するともいえます。また、アイドリッシュセブンという物語のテーマとして〈永遠〉があることも思い浮かびました。いろいろな解釈ができる歌だなと思います。
例えば主体はファンで、ライブから時間がたってもとか、熱心に応援する時期が過ぎ去ってしまったとか。
〈遠くなる日々にも〉といっているので、遠くない日々=現在にも〈歌〉はあるということだと思います。〈歌〉は歌い手がいなくなったとしても存在することができる。そのことを踏まえるともしかしたら、アイドルが引退した後の話として読むこともできます。
虹の両端には演者としてのアイドルと受けてとしてのファンがいて、どちらの視点からもこの歌を味わいたいなと思います。あいだに歌と、それが作り出すアイドルという夢があるからこそ、演者とファンは対等に関係を築くことができる。その虹を一緒に見るから、アイドルとファンでいられるし、それはどちらかがその場を去ったとしても続いていくもののはずなんだということを、この歌を詠んで思いました。
〈思い出せる〉の句跨りが、橋にもたとえられる虹の形状と、〈いつでも思い出せる〉とされている、〈あの虹〉の時と空間を超える性質とリンクしていてぐっときます。