鬱1年目の時のこと

hvycloudnorain
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公開:2024/7/14

1.

夜眠れない、ということが私の身体に起きるようになったのは2020年の春頃、コロナの流行が顕在化し、国も緊急事態宣言を出して少ししてからだった。目を閉じても意識が遠のくことはなく、いつまでも目が覚めている。2時、3時と、見たことのない時刻を携帯の画面で初めて確認した。

眠れないという初めての現象に混乱し、様々な不安も布団の縁から蔓のように湧き上がってきて私に憑りついた。胸が漬物石や硯を置かれているみたいに圧迫感で苦しくなる。そうやって身体に反応が出ることも初めてだったから、混乱は余計に大きくなって、心象風景としては私は上下左右にめちゃくちゃにぶん回されていて、頭の中では何かが走り回ってそいつの軌道が瞼の裏に見えているみたいだった。

そうやって混沌とした意味の分からない数時間をすごしたあと、すこし空が白んで、午前4時になってようやく、私は疲れ果てて眠ることができた。

そして昼過ぎに目が覚め、別の苦しみの時間が始まる。起き上がることができない。目は開いているし、時たま上半身を上げてみたりするのだけれど、すぐに後ろに倒れて再び布団に戻った。吐き毛がするくらい眠りこけ、また目が覚め、それを繰り返して、やっと起き上がれるのが夕方の4時過ぎだった。自分の身に起きていることがなんなのか把握できておらず、でもこんなにだらしないことを知られてはいけないとだけ思ってどうにか体裁を保とうと、バイトに出かけたり、親が仕事から帰ってくる前にと洗濯物をほして洗い物をしたりしてた。学校からは完全にドロップアウトしていたが、オンライン授業に切り替わっていたため登校したふりをしなくていいのがありがたかった。

夜も日中も何もできなくて、大好きなBLもあまり読めずにシュリンクをつけたまま1年で数十冊を部屋に積み上げた。

何もできない間はずっと携帯の画面を見ていた。Twitter、YouTube、Instagram、まほやく、なにかしらのゲーム。ここをぐるぐるぐるぐるとして、目が痛くなってもじっと見続けていた。Twitterにいたっては、3つあった自分のアカウントのタイムラインの投降を、すべて一文字残らず見るくらいだった。

どうにもできない時間だったけど、そのときTwitterに張り付いていたおかげでフェミニズムを知り、トランス差別の事を知り、それに抗する知識を得た。クィアという概念を知り、Aセクシュアルという言葉を知り、アナキズムという思想を知った。夜は眠れず、日中も起き上がれない。こんなことになっているのは世界で私だけなのではと思っていたところ、同じようなひとがいることを知り、鬱という状態のことも知った。

Twitterの一部が私に言葉や知識をもたらしてくれたのとは別に、さっき挙げたどれもが分かりやすい形で役に立つわけではなかったけど、私の存在を時間が通り過ぎていくことに耐えることだけは助けてくれた。とにかく耐えなければならなかった。朝の4時と、夕方の4時が来るまでを。そのころは何もわからなくて、ただ経験したことのない心身の状態に対応することにいっぱいいっぱいだったけど、死の淵を歩いていたなと思う。崖があって、でかい暗闇が広がっている。寝返りを打つとか、ささいなことでそこに落ちる。そういう感じだった。そっちの方を見ないために私は画面を見ていて、画面の中のものは崖の存在をしばらく忘れさせてくれた。

この年の私は明らかに鬱なのだが、そして鬱という病気のこともTwitterで知ったはずなのだが、なぜかそれが自分と結びつくこともなく、意味が分からない、なんでこんなことになっているんだと苦しみながら毎日を過ごしていて、それが1年続いた。ずっと携帯を握っていた。

その後。同居している親に私の破綻した生活実態や学業の事がばれ、通院を始め、現在はかなり回復してこういう文章もあまり苦しくならずに書いている。夜は眠れない日もあるけれど、何日も連続で寝れるときもある。まちまちだけど、数年前のようには苦しくない。不調に慣れて、それなりに対応できるようになったのもある。今は自分の回復ぶりを認めること、今の健康状態になってできることをちゃんとやることが自分の課題であるように思う。

2020年から今までずっとやっているソシャゲが「魔法使いの約束」で、私は息も絶え絶えにゲームの日付更新時間である午前4時を迎え、アプリを開いてフィガロの顔を見て、デイリーミッションをこなしてから眠るのがルーティンだった。そして、あの頃から私がどうにか生き延びた日数を数えてくれてるのもまほやくなのだ。ログイン○○○○日目という数字を見ると、どこにも残らない私の生存の跡を数えてくれていることに感謝の念が湧く。2024年7月現在、私はまほやくに加えてアイナナ、学マス、シャニマスとソシャゲ4足わらじの身となった。こういうゲームは、毎日やることがあって何かが積み上がっていくのが目に見えるのが支えになる。

2.

ここからは夜眠れなくなったり、自分の調子が何かおかしいなと思った時のためのtipsを置かせてほしい。

これらはあくまで私が自分の経験を振り返って当時こういうことをわかっていればよかったというもので、正確な精神医療の知識には基づいていません。それを前提にお読みください。

眠れないという不測の事態に携帯しか頼れるものがなくなったら

  • とにかく画面の明るさを落とすこと

  • 各種SNSの画面もダークモードを取り入れること

  • 虚無の時間を受け流すための無為なゲームには色数の少ないものを選ぶこと

これらは全部目の負担を軽減するための策だ。まじで、目が、やられる。私は鬱にともなって視力が下がった。時間をひたすら流すための手慰みのゲームはいくつかやってたけど、テトリスとバブルシューティングは色数が多すぎ(カラフルすぎ)て目の表面が焼かれたみたいに痛くなったので、最終的にソリティアに落ち着いた。今もたまにやる。ブルーライト眼鏡とかがあるなら絶対使った方がいいし(本当に効果があるのかはわからないけど無いよりマシでしょの精神で)、起き上がれるようになって目の健康状態の悪化を感じるなら眼科に行ってもいいかもしれない。

自分の状態に異変が生じたらできれば無理をしないで……

それこそ無理だ!って感じだけど、身体が要求するままに休んでじっとできるならそうしたほうがいい。

私の場合は、最初の1年で鬱状態(いま振り返ればそう呼ぶべきもの)と学業不振を同居している家族から隠蔽するべくいろいろと工作しふつうに暮らしている振りをし続けたことが大きな負担になって症状を深化させた気がする。

ここでの無理をしないでっていうのは、その人にとってのレギュラーな生活を送るのをいったんストップした方がいいという意味だ。自分が不調であるということを認めず、目をそらすために「日常生活」を遂行するということは、無視をされた健康状態にとっては殴られたり切られたりして痛めつけられることと同義で、その傷はどんどん大きくなるし、いずれ病院などにたどりついて治療する段階に入ったとしても後を引く。難しいし、自分のことを思い返しても当時は絶対できなかったなと思うけど、自分の心身の状態が自分の思うふつうじゃないなって感じたら立ち止まってほしい。

あえて苦しみ続ける必要はないこと、苦しみを取り除く方法は存在し、それを使うこともできることを自分に認める

なにもできないとき、自分がだらしないからこうなってるんだとか、なにもできないことへの自責の念がどんどん高まっていって、とにかく自分が悪くてこういう苦しい目にあるのは当然だしお似合いだし、せめてもの罰だと思っていた。

でもそうじゃなくて、眠れないのも起き上がれないのもなにもできないのもどうしようもない鬱の症状だ。ただただ身体の反応だし、そこにその渦中にある当人に対する審判だとか罰だとかの意味は無い。だから痛みや苦しみを甘受しなくてよくて、それをなくすために行動していい、っていうことを自分に言い聞かせる必要がある。

不安と消えたさと苦しさと混乱と目の痛みと腰の痛みと眠たさと吐き気に取り巻かれて、生産的なことは何もできていない状況で自分を責めないなんてことはできないんだけど、でも。

眠れないことは、薬で解決できる。不安感も薬で軽減できる。もちろん効かないこともあるけど、打つ手は用意されていて、取り除けるということが頭に認識されることによって暗闇に少しだけ裂け目ができる。

五条悟が、助けられる気がないやつのことは助けられないみたいなことを言ってた。あれの逆で、自分が助かってもいいと思えないと何も見えなくて、回復に向かうためにまず認識を変えることが私には必要だった。

自分の経験を振り返ってこのあたりをもっと早く分かってればなーと悔やんでることを書いたけど、あくまで私個人のことだから読んだあなたには当てはまらない場合もあると思う。

でも経験を書き残してくれていた人の知恵に助けられたので、私もこうやって見えるところに自分の知恵を置いておく。

本当は精神的に参っている友人知人がいるなら全員のところに行きたいのだが、私に助けになれるような力もなければ、駆けつけられるための関係の維持の努力もしていないので無理だ。

だからこの文章は、せめてこれだけでもという気持ちで投げているロープでもある。

自分のことをしゃべっている文章を誰でも見れるところに公開してることに耐えられなくなったら消すかもしれない。