ディスコードでお邪魔させてもらって雑談をしているチャンネルには定期的になぞなぞを出題するひとがいる。
漫画を読んでいてもネット記事を読んでいてもたまになぞなぞが出てくる。
分からない。
分からないことをスルーしているならそれはそれで良い(私は波動関数が分からないしギターのコード進行が分からないが、読み飛ばす権利も学ぶ権利も同じくらい保持している)が、なぞなぞを見かけるたびに真面目に考え込んでしまう。
なのに分からない。
なぞなぞはクイズではないので「A→B」と要素を繋げるために必要な条件を提示する必要がないし、そもそも「A→B」という風に分かりやすい関連を持っていないのだ。むしろ「A♻︎한」みたいなものを一瞬で無理矢理腑に落ちさせる過程に芸術性があるものだと思う。
むしろ『「A♻︎한」が答えだったけど「A⇄и」って答えを貰ったらそれの方が綺麗だったからそっちが正解だよ』すらありえるジャンルだ。
その隙間を私は埋められない。
知らないものを埋められないのは仕方ないが、これは飛躍のために必要な、いわば想像の運動神経をもっていないことなのかもな、と思ってしまう。そう思うことになぞなぞを真剣に考えてしまう一因があるのかも知れないと思考がドツボにはまる。
なぞなぞの持つ飛躍の美は五歳児でも分かりたかったら分かることが出来るのに、私はうまく遊べないのだ。
まあつまり今日は『なぞなぞとか大喜利でキャッキャしてー!』という話をしました。