英語
義務教育のほか私はECC英会話に通っていた。4歳くらいから中3まで。
まあ、それでも別に喋れなかった。大学卒業してしゃべる必要がでたり、しゃべることに憧れて勉強してTOEIC880点くらいになった。
日本の会社の中で英語ができる方なだけで全然自信もないし、実際まともには喋れないレベルだった。
でも、もっとちゃんと喋れる用になりたいと思ってこの2,3年は真面目に、半ば不真面目に勉強を頑張った。
そしたら、非ネイティブ同士で2人っきりなら全然喋れる。複数人になっても会話にはなんとかついていける。「お前なら英語で働けるだろう」とお世辞かわからないが言われるくらいにはなった。
結構自信を持ったのだった。
たかが道具
とはいえ、発音はあからさまに日本人だし、辿々しいスピードでまだまだ”まともに喋れる”といえないレベルであることは自覚している。
ヨーロッパに行って”まとも”というレベルはめちゃくちゃ高いと思った。
なので、いまだに英語で話すのはとても緊張するし、日本人かつ帰国子女みたいなペラペラな人の前で話すのはさらに緊張する。自分のレベルの低さを恥ずかしく感じてしまうからかもしれない。
そんな私が仕事で英語を使う機会が巡ってきた。
取引先に英語でサービスを説明するというもの。私はPMなので、製品をちゃんと説明できる帰国子女のセールスも同席した。
当然ながら私の英語は辿々しいが、ちゃんと相手も聞いてくれたことは自信になった。また、帰国子女のセールスがわからない技術的な領域や細かなプロダクトの話は私が回答をした。
この経験から何を話せるかの方が大事なのであって、英語の”うまさ”はそこまで大事じゃないのでは。と思って、いろんな人が言う「英語なんてただの道具」という言葉がすごく腑に落ちた。
私は英語で何を話せるかが大事だから、別のスキルを伸ばしていこうと思えた。
されど道具
今日は、海外の誰もが知るような会社でPMをやっていた方の講演に行ってきた。「話すこと聞き取れるかな」なんてちょっと不安だったけど、8割くらいわかった。2割はわかっていない。
でも、質疑応答はもっとわからなくなった。プレゼンをしている人はやはりハキハキと話していたのだな。質問者のモゴモゴとした感じとかは聞き取るのが超むずい。6割くらいわかった感じだろうか。回答される内容はまた8割くらいわかるので質問を自分で想像する感じだ。
みんなめちゃくちゃ質問する。日本だとあまり見ない風景だった。
私も正直質問したいことはあったが、私の英語の自信のなさからできなかった。
講演後、交流の時間になった。私は誰とも話すことなくその場をさった。正確には主催者の方に日本語で「お帰りですか?また機会があったらぜひきてくださいね!」と言われて「ありがとうございます。ありがとうございます。」と何故か2回同じ言葉で感謝を伝えて去った。
惨めだった。
慢心だったのか?まだ恥ずかしいとか思っている自分も恥ずかしかった。自分の中でだ。たかが道具と思いつつ、本心からは思えていないのだなと思う。
日本語だったらどうしていたろう?質問はしたかもしれない。でも、交流はせずに帰ったかもしれないな。
そんな自分は今後変われるのだろうか?
せめて、ああいった場で英語で質問できるようになりたい。
なろうじゃないか。
たかが道具とまた思える日を手繰り寄せたいですな。