その方は生まれながらに病弱だったそうです。一般家庭に生まれ育ち、幾度も入退院を繰り返しながらひとまず高等学校までは卒業いたしました。
高等学校を卒業しますと自分の意志で就職先を選べる、とまあ建前上はこうなっております。その方の通っていた学校にも各種企業、団体などから求人が舞い込んでいました。その中にはもちろん、審神者という兵隊を募集するものも。
審神者という職は危険を伴うものですが、その分報酬もなかなかの好待遇です。応募しようとした際、担当教員ももちろんご両親も、驚き、止めようとしたそうです。けれどその方の決心は固く、それだけ言うなら受験だけでも、というわけで就職試験を受けたわけですが。
詳しい結果は受験者にも通知されませんが、時の政府本部では大きな話題となりました。著しく高い霊力。霊力によって刀剣男士を顕現し、その状態で維持させ、さらに戦わせるとなれば霊力は高いに越したことはありません。おそらくは自身の体を守るための力が虚弱体質では上手く調整できずに霊力として育ったのだろう、というのが本部の見解でした。
つまりその方は晴れて審神者として働くことになったのです。
体は弱い審神者でしたので学校の勉強というものにも遅れがちでしたが、地頭は悪い方ではなかったのでしょう。高い霊力も合わせ、その審神者の本丸はあれよあれよと大きくなり、高い戦績を誇り、設立から日が経たずとも最前線で指揮を執るようになりました。
しかしご本人が病弱なことには変わりありません。
戦のたびに寝込む、などということも頻繁にありました。それでもその本丸が高い戦績を維持できたのは審神者が自らの男士たちと絆を深め、知識を共有し、強い信頼で結ばれていたからでしょう。実際、審神者が床に臥せている間は近侍が代理で指揮を執っていたこともあったそうです。
短い期間で名を轟かせた審神者でしたが、花の命もまた、短いものでした。
審神者には年に一度の健康診断が義務付けられておりますが、兵隊はいくらでも欲しいもの。よほど劣悪な結果でなければそのまま審神者を続けることになります。それほど緩い健康診断に、その審神者は就任数年で引退勧告対象者となりました。
政府本部の管理者と審神者による面談が行われます。
審神者として兵隊として働けなくとも、政府本部で仕事を行うことも可能なのだとそういう話が伝えられました。もちろん形だけのものです。政府本部での業務は激務であり、病弱なその審神者にはとても耐えられるようなものではありません。
審神者はそのままその本丸の主として在りたいと申し出たようです。
政府の管理者は特に異を唱えることもなく、その審神者はその本丸の主として指揮を執り続けました。
そして最期のときが来ます。
政府の管理者との面談時に命令された通り、すでに遺言書は書いていました。
まだ若いその審神者が鎮痛剤で意識もおぼろになる頃、審神者の部屋には近侍のみが入り、他の男士たちはどこかほっとしたように笑い合っていました。
審神者の命が絶え、男士たちは資材へと変わります。政府から派遣されていた医師が死亡を確認し、近侍だった資材をかき集めました。
審神者の遺体はまだ健在だったご両親のもとに送られ、近侍だった資材は小刀へと姿を変えて後日届いたそうです。もちろん審神者の仕事には機密が多く、ご両親はその小刀が近侍であったことを知りません。
おしまい