これは何度周知しても毎年一件は上がってくる事故報告ですが、あまりに数が多いため事例の分析を行いました。
事故事例本丸の審神者の九割超が外部採用、すなわちそれまで人の世で暮らしていた方々です。要するに人と刀剣男士が違うものだという認識が薄いのでしょう。まったく困ったものです。
外部採用とはいえ、審神者となれば城の主。生活は本丸内で行います。刀剣男士にもいろいろいますが、短刀をはじめとした人懐こい男士、かつての主に愛されたため人を愛する男士、御神刀として祀られたため人の安寧を祈る男士、と基本的には人に対して友好的です。
顕現された刀剣男士は人を模した身体を持ちます。心が何かということを哲学的問いとして扱うことはこの場では避けますが、心理学的に言えば身体感覚と心理状態には密接な関係があるとされています。よって顕現された男士たちは人を模した心を持ち得るわけです。
審神者は人ですが、刀剣男士は人ではありません。ただし、審神者が人だと思えばそれはもうその審神者にとってはほとんど人と変わらないものなのでしょう。
人と人がいれば、そこに社会が生まれます。関係が生まれます。情が生まれます。友情の場合もあるでしょう。あるいは、恋愛。
時の政府として審神者と刀剣男士の結婚は禁じておりません。
自身の霊力によって顕現された刀剣男士と子を成すことは自己増幅のようで嫌悪する方も稀にいますが、生まれた子供たちが高い霊力を持っていることは実績として事実です。
ですから、女性の審神者が刀剣男士と結婚をし、子を成すことを政府は禁じませんし、むしろ推奨しております。
しかし結婚に愛が必要でしょうか。
とまあ、ここまで単刀直入に言ってしまうと各所で障る場面もあるでしょうか。
かつて結婚とは家と家を結ぶ、いわば契約でした。現代において家というものは形骸化し、人と人は愛でつながるべきだという声も大きいことは承知しています。愛、恋愛、その先にある結婚からの家族という形。
心得ておいてもらいたいのは、刀剣男士は人ではないということです。
彼らは格が低い末席に並ぶとはいえ、神、なのです。
神々は言葉を依代にして契約を行います。愛の言葉は互いを縛る緩やかな鎖であるわけです。刀剣男士たちもそれに倣います。
不用意な言葉を交わさないように。
絶対に永遠など誓わないように。
人は死にます。刀剣男士も死なないわけではありませんが、寿命で果てるには人よりもはるかに長い時間を要します。
そこで永遠など誓わないでください。
彼らは持てる力をすべて使い果たしてでも契約を履行しようとするでしょう。人である審神者が人でなくなっても。
禍々しい怨霊と刀剣男士だった悪霊たちに呪われた本丸を除霊することは、金銭面でもそうですが、精神面でもなかなかの負担なのです。
繰り返しますが、刀剣男士は人ではないのです。
おしまい