精神と時の部屋

イチコ
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書けない書けないと嘆いている間にまた日が空いてしまう。何でもいいから書いてみよう、がテーマで始めた場所のはずなのに。

日常的に文章を書いていた頃 ー 締め切りというものと追いかけっこをしていた日 ー ある銀座のカフェをよく利用していた。やや有楽町寄りの小さなビルの3階。席数は10と少し。マフィン程度のちょっとしたお茶菓子はあったけれども頼んだことはほとんどなく、中国茶の種類が豊富だった。

お茶はそれぞれ、“6、7煎お飲みいただけます”などと書かれていて、足し湯をして淹れ直してもらうことができる。なので、それだけの回数のおかわりをするまでは、長居をすることに罪悪感がないのがよかった。お茶を頼むと小さなお茶請けがついてきて、これがまた美味しい。

調度の類は至ってシンプルで、色調も柔らかくて控えめ。BGMは流れていた……と思う。多分。何度も通ったのに覚えていない程度の密やかさだった気がする。

単価こそ高めだったものの、こんな一等地のカフェがこの客回転率の悪さで大丈夫なのかと不安になるほど(もっともティールーム以外の事業で利益を出しているのであろうことは想像がついたけれども)ゆったりとした時間が流れていて、居心地が良かった。

ここの窓際の席が、何故か驚くほどに作業が捗る場所だった。自宅で書いていて、いい表現が浮かばなくて後回しにしていたところもするりと文章が浮かんだし、文章校正の赤入れもテンポよく、プリントアウトした草稿を真っ赤に直して持ち帰ったことも何度もある。

他のカフェではここまで集中できず、ひと締め切りごとに一度はこの席を利用していたように思う。

思い込み、自己暗示、バイアス ー。いずれにせよ当時の私には、そこは魔法の空間だった。眼下に広がる華やかな銀座の大通りが遠い世界のよう。日常から隔絶された、時間の流れる速度が異なる小さな部屋。

まるで精神と時の部屋みたい、なんて、ドラゴンボールに登場する異空間の名称を思い出してしまうのは、世代の倣い。文章を書かなくなってもうすぐ10年、最後にそのカフェを訪れてからそれだけの時間が経ってしまったけれど、こうしてまた何かを書こうかと思った時、そして思うように書けなくてもどかしくなった今、あの場所のことを懐かしく思い出している。

@ichi_ko15
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