○アンソニー・ホロビッツ「ナイフをひねれば」
毎年一度の楽しみ、ホロビッツの新作。いつもこれだけは作者に挑戦!の意気込みをもって読むのだけれども、今回は犯人はこの人しかないという感じだし、動機もまあそうよねというところだし、うーん……。面白いことは面白いのだけどね。また次の新作でお会いしましょう。
○リュミドラ・ウリツカヤ「ソーネチカ」
今月の新潮クレストブックスチャレンジ。WW2前夜のソ連の辺境に生きる女の一生。文字面通りの内容を語る類の話ではないというのはわかるのだけれども、それにしても私はあまり魅力を感じなかったかな。「我と我が身に起こる全ての事象をあるがまま受け入れ、それを人生の歓びとして穏やかに生きる女」というのは神の恩寵であるとか聖女性と言ったものの寓意なのだろうけれども、人間ができていない身としては“こんな生き方いやだな”で終わってしまった。
○M・W・クレイヴン「キュレーターの殺人」
ポー警部シリーズ3作目。はい、面白かった!以上、終わり!ホロビッツもそうだけれども、謎解き全振りの英国ミステリは疲れなくて良い。実行犯はともかく、依頼人は想像だにしていなかった。もう少しカンが良ければわかったかな。悔しい。シリーズ全体の展開はそろそろ大きなうねりがある感じで、次作に期待。
○伊坂幸太郎「死神の浮力」
伊坂未読の友人に“精度が読みやすいよ”と紹介したところで、そういえば私自身が浮力が未読だった。読んでみて、私は精度の方が圧倒的に好きだった。ただ、浮力の方が伊坂の色が強く出ているとも思う。いつ読んでもとても巧みな作家さんだなとは思うのだけど、私の好み的には、彼の本流とは外れたところの作品の方が合うような感覚をもっている。
○シュテファン・ツヴァイク「チェスの話」
ナチス支配下時代の小説をと思って読んだのだけれども、テーマとしては人の持つ潜在狂気や妄執性を描いた短編集だった。「書痴メンデル」の物悲しさが残る。平時であればコレクターやブッキッシュとして終わっていた人が時代に巻き込まれて不幸になったり、逆に時代によってそういった性癖が呼び起こされたり……という点では、やっぱりこれも戦争小説になるのかな。
○マーク・トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険」
本来であれば若い頃に読んでおかなければならない古典や話題になった時にスルーしてしまったベストセラーに今さら手を出してみる、という試み。小中学生の時に読んでおけ。これもっと大人向けに読みやすい訳が出ていなかったのかな?というのは読み終わってからの後悔。
○宮本輝「灯台からの響き」
全開の宮本輝節。さすがに台詞回しやら何やらに時代とそぐわない古さを感じてしまうけれども、別に令和時代のトレンドを求めて読む作家さんではないからこれでいいのだ。死の隣にある生と、人の営みの中にある悲喜。最近の宮本作品は登場人物の抱えているものの重さや暗さがマイルドになった気がして、その辺りは時代の変化なのかもしれない。総じて善人たちの物語だった。
○相沢沙呼「雨の降る日は学校に行かない」
積み本リスト消化。何年前にリストアップしてどんな内容で気になったのか思い出せないまま読んだら、タイトル通りの本だった。スクールカーストって言葉がメジャーになってどれくらいが経つだろう。ごく狭い世界が世界の全てである思春期時代の、閉じた人間関係の話。息苦しい閉塞感の描写が丁寧だった。初読の作家さんだったけれども文章も読みやすい。「午前零時のサンドリヨン」も積んでいるので読まねばならない。
○陸秋槎「元年春之祭」
この作家さんは2作目。前作もこれも今ひとつピンと来なかった。好みに合わないのだな。設定は好きそうな感じなので残念。
○太宰治「お伽草子」(再)
ものを書くことを再開しようと思った時に、よしじゃあ上手い人の文章読むか!という短絡思考で太宰治。“入れるべきか迷った文は削れって太宰が言ってた(気がする)”って阿刀田高が言ってた、というのを長年座右に置いて生きているのだけれども、出典を調べていない。