カムフロムアウェイ(全体編)

イチコ
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ホリプロ

安蘭けい 石川 禅 浦井健治 加藤和樹 咲妃みゆ シルビア・グラブ 田代万里生 橋本さとし 濱田めぐみ 森 公美子 柚希礼音 吉原光夫

日生劇場

脚本 音楽 歌詞 アイリーン・サンコフ/デイヴィット・ヘイン

演出 クリストファー・アシュリー

“パレードの後悔”を何年も抱え続けている。間違いなく良い作品だろうとわかってはいたのに、実際に好評を聞いたのに、上手く日程が合わなかった。そして再演時は私が劇場に足を運べずにいた時期で、結局あのミュージカルに触れることができていないことについて、なんとかして初演時に観ておくべきだったと、ずっと悔やんでいる。

カムフロムアウェイの情報が解禁になった時、演目と出演者を知って、これはまた凄いメンバーを揃えたなと感嘆した。ただ、3月、年度末。世間のご多分に漏れず繁忙期。都合をつけるのはちょっと難しいかと感じていたところ、幕が上がって感想を見かけるようになって、これは観ておかないと悔やむ日が来るかもしれないと思って行ってきた。

と、前置き。

9.11の際に起こった実話を題材にした群像劇で12人の役者が何人もの役をやるという、予備知識はこのあたり。あとはトニー賞時に話題になったことを覚えているくらい。

前日の夜にチケットを取ったので席は2階の端席。舞台が遠いことに加え、昨年からぽつぽつと観劇を再開しているとはいえ長いブランク明け、気分的にはまだリハビリ中くらいのところに、こういった形式の舞台で集中力がもつのか、受け止めることができるのかという不安を抱えながら、久々にオペラグラスを ー それこそ4、5年ぶりに膝の上に用意して、開演。

結論から言うと、不安は杞憂だった。そしてオペラグラスはいらなかった。休憩なしの100分という時間は、観劇ではあったけれども体験のようだったかな。

セットは大掛かりなものではなく、左右に背の高い木が柱のように何本も立っていて、照明灯の役割も兼ねていた。あとは椅子と机。キャストが自ら並べ替え、それによって場面が飛行機の座席になったり管制塔になったりバーになったり。そして場面が変わるごとに、キャストたちの“役”が変わる。キャストは核となる役がそれぞれに1つ2つあって、それ以外にもその場限りの役をたくさんやる。レ・ミゼラブルでいうとグランテールがバマタボアだけど裁判官だし囚人も物乞いもやるよ、みたいな。(新演出の香盤表覚えてないのでケアード版の兼ね役しか出てこない。)レミゼは衣装が変わってわかり易いけれども、こちらは着替えはちょっと上着を羽織ったり帽子をつけたりくらい。姿勢や声の抑揚、歩き方などで、別人になったことがわかる。

存在感のある人たちを揃えたキャスティングなのでいったいどうなるのかと思っていたら、個が強いので個が目立たなくなるというのが逆説的で面白かった。といって個がぶつかり合って存在感が喧嘩するということはなくて、一人一人が“それぞれの場所に立つこと”に徹しているから、他者を邪魔しない。「全員が主人公」というのは定型句のように使われる言葉だけれども、出演者全員に主役級をキャスティングした結果その言葉を実現させてしまいました、というのは力技感がある。人物ごとの輪郭線がすごくクリアで、一人あたりの台詞は多くないのに立ち位置や人物像がわかりやすい。

なので、なるほど群像劇とはこういうものをいうのかという納得感があった。

舞台となっているのは9.11の事故なのだけれども、ニューヨークやペンタゴンで起こった悲劇そのものではなく、それによって米国内に入ることができなくなった人たちの緊急避難の顛末についてが語られている。でも9.11を身近に体験したものではなくても、大きな災禍とそれに伴う混乱については、多くの人が身に覚えがあるのではないかな。例えば私自身で言えば、3.11で東北に住む家族と何日も連絡が取れないでいた時の焦燥感や絶望感。何よりも情報が欲しくてTVの映像から離れられなかったこと。それによって消耗したこと。一時避難のための交通手段の確保が難しかった記憶。大型台風の上陸の際には、避難所開設に少し携わった。人によってそれは阪神や中越の記憶だったり、今まさに現在進行形で起きている能登だったり、東欧や中東の紛争だったり。様々、思い浮かべるものは違うとしても、全く想像もつかないという人は少ないのではないだろうかと思う。報道される光景に息を呑んだ記憶や、無力感に苛まれたこと。そういった経験が、このミュージカルで語られる出来事に対して、“体験”という実感を持たせている。

エピソードの一つ一つが、少しわかるんだよね。受け入れの避難所で女性が女性のための物資を用意するくだりや、貨物室の動物たちの保護に奔走する人とか。流言による不安や情報不足による苛立ちだったりは、大なり小なりみんな思い当たることがあるでしょう。遠くの島で起きた遠くからやってきた人々の話は、しかし、知らない誰かの話ではない。

そんな中、混乱の島で語られる言語と宗教と人種についてのエピソードは、このミュージカルの大きな特徴だったと思う。この部分は未だ閉鎖的な日本にいては分かりにくいようで、現代を生きる我々には想像がつく部分でもあり、そして何よりも間違いなく今後の課題になる。信仰や食文化の異なるものに対しての対応や寛容さと言ったものを、今の私たちは持っているだろうか。残念ながら今後も起きるであろう災禍の際には、持ち得ることができるのかどうか。きっと偏見はあるだろう。その時に、いったい何を思うのか。

私たちが生きる世界は日々是平穏とばかりは行かなくて、人為的なものだったり自然災害だったりの差はあれど、災厄と言われる事態に直面することは何度もある。それは辛く悲しいものでもあるけれども、そんな時に人に寄り添い人を救う、“人”がいる。家族や友人、恋人だけではなく、人生に何の関わりを持たなかった赤の他人たち。このミュージカルで描かれるニューファンドランド島の人たちは、みな善良だ。と言っても平時の生活を見るに、ダラダラしたり愚痴を言ったりで、聖人君子の集まりというわけでもなさそうに見える。そんな普通の人たちが持つ、ごくごく普通の善良さ。(表に出ないところには厳しい目を向けていた人もいるだろうし、非常時って色々忙しく動き回っていた方が楽ってことあるよね、という面があるとしても。)目の前に困っている人がいるから何とかしなきゃという、単純で裏のない善性。言葉も通じず不安にかられる乗客に向けて、彼らの持つ聖書を繰って章番号を指差すことで安心してと伝えるくだりは、そんなシンプルな善性の象徴のように感じて、全編を通してもっとも美しい場面の一つだった。

総じて、人間讃歌の物語だった。

ガンダーの町の人たちが田舎暮らしゆえの純粋さやお節介的善良さを発揮しているように描かれている部分が多いけど、その善性に触れて心を開いていく乗客たちもまた、善き人たちだった。差別も別れも悲劇も描かれた舞台だったけれども、物語を包んだのはあたたかな光だった。

と、随分と誉めてしまったけれど、単にとにかく好きなんだ、「善き人たちの話」も「群像劇」も。恋愛はメインテーマじゃなくてエピソード程度なのが好みで、重唱を永遠に聴いていたくて、盆が回ると嬉しくて、私の好きな要素がいっぱい詰まっていた。当然のようにキャストさん方が上手かったという多幸感も含めて、素晴らしいミュージカルでした。行けて良かった。

ただ、最後に一点。私はあの事故をリアルタイムに触れて覚えている世代だけれども、知識としてしか知らないという人はどれくらいいただろう?事故そのものについて語られる描写が少なかったことが、ちょっと気になった。(直近で見たお芝居もそこが引っかかったということもあるので、尚更。)災禍に対する人の物語という点では普遍的なテーマだとここまで散々書いたけれども……例えば乗客たちがテレビを見るシーンで、私は彼らが見たであろう絶望的な映像と同じものを思い浮かべることが出来る。ニューヨークで消防士として働いている家族がと言われれば、多くの人が殉職したという事実がすぐに浮かぶ。だから説明なんてなくても、自分で勝手に想像して勝手に苦しくなることができてしまう。9.11が起こったのが2001年、ブロードウェイ初演が2017年?そしていまが2024年。これから更に年月が経って、この出来事の凄惨さを記憶に持たない人が客席のほとんどを占めるようになった時、このドキュメンタリーミュージカルはどういった強さを持つのかな。と、ベトナム戦争を知らずにミス・サイゴンを観る自分のことを考える。

@ichi_ko15
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