“女”としてライター業をやっていると、わりと結構な頻度で、スピリチュアル関係の依頼が入ってくる。
スピリチュアル。
私も言葉の定義がよく分からないので、今ざっくりとググってみたのだけど、要するに「霊性」とか「目に見えない世界」ということらしい。
目に見えない世界。霊の力。魂の力。波動。水の結晶。
うん。うーん。
たしかに私は、物語の世界が好きだ。創作が好きだ。
来世があると信じたい側の人間だし、来世は夫や子どもとまた会いたいけれど、推しキャラクターの恋人になる世界線にも生まれてみたいとか思っちゃってる人間だけど、それでもやっぱり「スピリチュアル」なるものに、なーんか違うんだよなあと違和感を覚えてしまう。
なんでだろうと考えたとき、思い浮かんだのが、スピリチュアルな人たちはえてして「自分たちだけしか知らない秘密の情報」「多くの人は気づかない崇高な何か」で差別化を図ろうとしていることへの違和感だった。
例えば飲めば癌が治る水、みたいな。自分たちだけしか知らない、ものすごくありがたくて効果のある情報、なんて本当にあるの?
というか、めちゃくちゃ有益な情報なのであれば、人類の発展を願って社会に共有すべきではないの?
一歩譲って目に見えない世界が本当にあるとして。それをおもしろがっているのならいいのだけど、それがある種人をだますような形でお金になっている構図がどうにも気に食わないのだ。
私は、もともと大学職員として、アカデミアの世界で働いていた人間である。
アカデミアの世界は、嫌いではない。むしろ、好きなほうだ。
研究は、みんながあっと驚くような成果がバコスコ出てくる世界ではない。
本当に地道な一歩を積み重ねて、「これ、一体何になるの?」というような成果が100年後に大きな成果へと化けるような、本当に本当に地道な世界である。
でも、だからこそ、科学的な研究がもたらしてくれた成果は、信頼できる。(と私は信じている)
たくさんの人の目を通して「この研究プロセスに問題はないか?」「この成果は本物か?」を確かめているし、過去の研究の積み重ねの上に、その成果がのっかっていることも多い。
特定の誰かが言っている「あっと驚くような事実」「誰も知らない有益情報」よりも、数百年前から続く人間の「研究」という営みのほうがよっぽど信頼のおけるものだと思っている。
だからたぶん、私はこの先もスピリチュアルな領域の仕事には携わらないと思う。先日入ってきた依頼も、全く興味関心のない私が携わったとて、良い仕事にならないだろうと断った。
私はむしろ、どうせ携わるのなら、科学の領域と一般社会をつなぐ仕事がしたいと願う。だから大学にまつわる仕事をするのだろうし、今後もアカデミアに関連する仕事があるのなら、積極的に携わっていきたいと思った。
そんな所感をつらつらと書いて、今日の記事はおしまいです。