「ひとり」の時間を愛すること

夫や娘の入院を経て、いろいろとあった怒涛のような4月が終わる。

本当にいろいろなことがわっと押し寄せてきたので、私は今、仕事はちゃんとやっているつもりだけれど、それ以外のことはもう「疲れちゃってェ…動けなくてェ…」の状態である。

心身ともに疲れていると、私は家族以外の誰にも会いたくなくなる。他のことが全部めんどくさくなって、家でひっそりと過ごしていたい、休みたい、なんなら家族にも会わずに、「ひとり」で気ままに過ごしていたいと思うことも多い。

1人でいることが、全く苦ではないタイプなのだが、世の中にはそれを理解してくれない人も意外と多いことに驚く。特に中高時代、陽キャで学校が楽しかった人たちにとっては、「一人=苦行の時間」と思えるらしい。

1人で静かに過ごしたいと思っている人種に哀れみの目を向けて、「こっちおいでよ」と手招きをしてくる。それを拒んでも、「次こそは絶対にこっちおいでよ」なんて、こちらが一人でいたいと思っている気持ちは無視して、一人でいることは絶対悪であるかのように「誰かといること」を強制しようとしてくるのだ。

先日、そういう、人それぞれ違う背景に思いをはせることなく、すべてを自分の尺度で判断しようとする人たちに心底嫌気がさす場面を久しぶりに経験した。

誰かと一緒にいる、話すことを好まない人種もいるのだと理解してほしい。放っておいてくれ、と思う。

ひとりでいることは、贅沢な時間だ。

何をしてもいい、何を考えてもいい、何をつくってもいい。そういう時間を、私はとても愛している。娘や夫と一緒にいる時間をのぞけば、自分の心が潤う、唯一の時間といっても過言ではないのでは。

こういう考え方をしているから、私は組織になじめないんだろうななんて思ったりする。フリーランスという働き方に厳しさや不安を感じつつも、やっぱり楽だからやめたくないなあ…なんて思うのは、私が学生時代からカーストの外れ値にいて、今もなお“社会不適合者”のような素養を一部持ち合わせてしまっているからなのかもしれない。

それでもちゃんと仕事ができているのだから、まだ良いほうか。

さて、溜まった仕事を片付けよう。

@ichika61248
しがないライターをしています。