QUEENのライブを観に行った。
物心ついたころから、父が運転する車の中で絶えずかかっていたレパートリーのひとつ、QUEEN。なんだかんだユーモラスな、それでいてクラシックの荘厳な雰囲気もあるサウンドとフレディ・マーキュリーの唯一無二の歌声が気に入り、私もいつの間にか、父のお気に入りのCDを借りパクしては自分の部屋で聴き込むようになっていた。
結論から言うと、QUEENのライブは最高だった。
東京ドーム公演なので、音響は良くなかったのだけど、まあそれを差し引いても、アダムランバートの歌声はフレディと同じくらい最高だったし、ブライアン・メイというギターヒーローが目の前に健在していて、ピロピロとギターをかき鳴らしているさまはもう言葉にできないほど感動したし、ロジャー・テイラーも若干間違えたところはあったけれど、やっぱりいくつになってもかっこよかった。
私は今でこそ、K-POPシーンを中心にライブレポートを書いたり、コラムを書いたりしているけれど、もともとはロックバンドやシンガーソングライター好きから音楽好きが始まったタイプである。
QUEENのステージを見て、なんだか心の底からホッとして「ああ、これこれ」と思えたのが、すごく心地よかった。東京ドームから帰る道中、ずっと心が落ち着いていて、得も言われぬ満足感に包まれていた。こんな体験、何年ぶりだろう。
それで、ふと、疑問を感じた。
昨今の日本のエンタメ業界が、K-POPシーンの台頭にやきもきして、自分たちも世界を目指さなければ!!と焦りに焦っている現状に。
なんというか、鶏が先か、卵が先か、いろいろな順番が逆になっている気がする?と。
どういうことか。ちょっと私の頭の中もまだまだ整理されきっていないので、少し読みにくいところがあったらご容赦願いたいのだが、要するに、日本は昔からバンドやソロシンガー、シンガーソングライターが結構根強くて、そういった人たちが音楽シーンをけん引してきたわけだけど、それが昨今、ダンス&ボーカルグループで世界を目指そうという流れが日本国内でも強くなってきていて。
でも、果たしてどうなんだろう?と思うのだ。日本のその脈々と受け継がれてきたアーティスト文化を、そのまま引き継ぐのも、実は悪くないのでは?と。だってCity Popとして今世界で人気を集めている音楽は、山下達郎やら竹内まりあやら、はっぴいえんどやら、アンダーグラウンドも含めて「自分たちのやりたい音楽」を突き詰めてきたバンドやミュージシャンたちが、着々とつくりつづけていったもので、それが今になって脚光を浴びているわけで。
芸術や文化って、そういえば本来、作り手が表現したいものをつくり、それが今すぐかは分からないけれど、いつかどこかで評価される。そういう性質のものだよね?
日本はそれができていた。だし、今の時代にも、YOASOBIや米津玄師らをはじめ、インターネットの力を借りて、それをしている人たちがいる。それで良いのではないか?
こういう議論が湧くとき、必ず持ち出されるのがK-POPシーンである。(K-POPも好きなので、悪く言うつもりは毛頭ないし、彼らのパフォーマンスのすばらしさは言わずもがななので、これは愛がある上での記事だと思ってほしい)
K-POPシーンは、なぜダンス&ボーカルグループばかりなのか。なぜバンドが育たないのか。
それは、韓国には、日本ほどちょうど良い規模のライブハウスが存在しないからである。
日本は、ライブハウスが各地に存在している。50名キャパのところで実績を積んで、100名キャパ、200名キャパ、500~1000名キャパへ…と順を踏んで大きくなっていくことができるけれど、韓国ではそうはいかない。だから、めぼしいバンドが育たない。この間、人気を集めるガールズバンドが誕生していたけれど、あれはSNSのインフルエンサーや元アイドルという肩書を利用して話題性があったから大きく育ったのであって、下積み時代を経て、そういう苦労も込みで曲になっていくバンドはなかなか出てこない。それが韓国だ。
だとすると、日本は逆にバンドが育ちやすい環境がある点こそ、強みなのでは?
誰かの焼き増しのようなバンドではなく、自分たちの表現したいものを突き詰めた、とがりに尖ったバンドを見つけることができれば、その個性がひょっとすると世界へ羽ばたいていくこともあるのではないだろうか。
そのための目利きが、ずいぶんと難しいのだけど。
K-POPは好きだ。大好きだ。
LE SSERAFIMとかかわいいし、ダンス上手いし、歌うまいし、メンバーのキャラクターもバランス良くて。ホント好き。
BTSもSHINeeもみんな好き。
で、そういう素晴らしいグループを生み出しているK-POPは、世界を目指して、ものすごく仕組み化が進んでいる。曲もお金を出して、世界で活躍する作曲家から本当に良い音楽をもらってつくっているし、作詞だってその世界の第一人者みたいな人が携わることも多い。
でも、そこにあるのはコンセプトで。グループのメンバーが表現しているのは、あくまでも、そのグループが示したいコンセプトで。
QUEENのように、表現したい世界観やメッセージを楽曲で、演奏でつくることは叶わないのだ。(もちろん、自作ドルもいる。彼らの曲はほんと素晴らしくて、SEVENTEENの曲とかも私も毎日リピってる)
何が言いたいかというと、昨今のエンタメは、世界を目指しすぎるあまり、いろいろなことが逆になっている気がするのだ。
本来はQUEENのように、バンドを結成して、表現したいもの、つくりたいものがあって曲をつくり、それが全然売れなくて……ほとほと困ったときに日本で「こいつらいいじゃん!」って発見されて、世界でブレークするという流れを辿るもので。表現ありきで世界に出ていくもので。
でも、最近のエンタメは、「世界に出ること」ありきで話が進んでいく。世界に出るためには、どんな音楽をつくるべきか。世界で今はやっている音楽になるために、どういう音楽を提供すべきか。
芸術の世界は、あくまで表現者の表現したいものありき、なのだが、そこのところが逆転している。
だから、これからのエンタメの世界は、もしかするともう少し誰の声にも耳を貸さないような、ある意味頑固な(ロックな)、自分のやりたい表現を突き詰めるようなアーティストが花開いていくのかもしれない。
今は後ろ指をさされているような若手アーティストが、もしかすると5年後、10年後、世界で称賛される日が来るのかも? 若手アーティストはどんどん出てくるので、特にまだテレビなどでは注目されていない、YouTubeで活躍しているような人材にもう少し目を向けると面白いかもしれない。
そんなことを思った1日でした。