昨年末、念のためと紹介状を書いてもらった大きな病院で、重めの病気の可能性を示唆された。検査結果が出るのは年明け。
動揺した。めちゃくちゃ動揺して、待合室でその病気について調べまくった。死に直結するものではなく、投薬治療が可能だと記載されていたが、落ち着かなかった。Instagramのストーリーに吐き出して、友だちに心配してもらって、ありがたかった。
冬休み初日から高熱が出て、悩むどころでは無くなった。年末年始の楽しい予定はほぼ流れた。
回復してからは、宗教学の入門書を読んでいた。仏教には親しんでいたが、キリスト教やイスラームの知識が乏しいので、もともと学びたいと感じていたうえ、この状況だ。もし本当に病気だったら、信仰が心の支えになることもあるのではなかろうか、という気がした。死や病の恐怖を受け容れるのに、役に立つのでは、と。
年が明けてからまた体調を崩して、体調に引き摺られて思考や感情も落ち込み、ようやっと回復して、今日、検査結果を受け取った。懸念されていた病気ではなく、他の数値も際立った異常はなく、逆紹介状を書いてもらい、かかりつけ医のもとで経過を観察しましょうという結論に落ち着いた。
初回の診察からずっと、担当医は不機嫌そうでも偉そうでも変に優しそうでもなく、とてもフラットな態度、かつ、丁寧に質問に答えてくれるひとで、すごくありがたかった。
診察室を出て、「病気じゃなかった」という実感がようやく出た。混み合う待合室の椅子をぼんやり眺め、空いたところへふにゃふにゃとからだを収めた。
会計を待つ間、ストーリーに報告を上げた。もしも、に備えて午前休をとっていたので、お気に入りの喫茶店に寄ってモーニングを食べた。
かかりつけ医のところへ報告へ向かう移動中、これを打ち込んでいる。心身の強張りが急に解けたばかりで、結局あまり実感は伴ってない。今朝は雪だった。