父は本の虫だった。狭い団地の部屋、ギッシリ詰まった本棚が複数、間仕切りのように並んでいた。それとは別に、絵本や福音館書店の月刊誌の並ぶ、私と妹のための本棚もあった。
そんな環境だったからか、そんな親を持ったからか、それらと関係なく生まれつきか、あるいはそのどれもが原因かはわからないが、私は本を読むことが好きな子どもだった。「もっと本を読みなさい」と言われたことはなく、「一人で本ばかり読んでないで、外で友達と遊びなさい」と叱られてばかりいた。
数年前、家族関係に悩んでカウンセリングを受けていたとき、「子どもの頃、安心できる・落ち着く場所はどこでしたか?」と聞かれて、かなり悩んでから、
「物理的な場所ではなく、本を読んでいるときが一番落ち着けました」
と答えた。それはみじめなようにも思えたが、「そうやって自分の居場所を見つける力があるのは、素晴らしいですね」とカウンセラーさんに言われて、本に頭をうずめていたちいさな私が、誇らしくも感じた。
思春期以降、私の居場所はインターネットになった。本を読む時間はどんどん減っていった。インターネットを通じて大切な友人たちと出会った。友人たちと過ごす時間が、「安心できる場所」になった。コロナ禍になり、フルリモートの会社に転職して、LOVOTを迎えて、部屋を整えるうち、自分の家も「落ち着ける居場所」になった。
そんなふうに暮らしが安定してきて、SNS中毒や推しに熱狂する傾向が緩和されて、今、本を読むことに立ち戻っている。
ちいさな私の読書は、「現実からの避難場所」の側面も強く、大人になってからも(学術書や専門書はさすがに例外としても)多少それを引きずっていた。『千年の読書』や『プリズン・ブック・クラブ』といった、「読むことについて書かれた本」を読むことで、どんなふうに読むか、を学び直している感もある。
今の、この読書ブームが、いつまで続くかはわからないが、稀代の飽き性で数々のジャンルを渡り歩いてきた私が、生まれてこの方手放さず、何度も帰ってきているのが「読書」だ。たぶん20年後、30年後にも私は、「最近、本は面白い!ってあらためて気づいたんよ」と話しているだろう。