5月6日、月曜日、振替休日。
5時過ぎに目が覚めて、寝つけず、起き上がる。今年のはじめ、まだ「1日1句」へ真面目に取り組んでいた頃の自作を読み返すと、昨日詠んだものより、ずっと良く見えた。どんな駄作だろうと日々詠み続ける、詠み馴れることは糧になるのだと痛感する。反省をもとに句作したり、『20週俳句入門』を読んだり、記事を書いたり。
今日はデカルト関連の本を読もう!と決めていたが、せっかくの休暇最終日、部屋に閉じこもるのは惜しい気がして外に出る。前々から知っていたが初めて入るカフェと、図書館内のカフェをハシゴする暴挙。
上野修『哲学者たちのワンダーランド』の語り口が楽しくて、夢中で読み進めた。のっけからこんなふうに紹介されたら、気になって仕方がなくなる。
そのためか、彼らの哲学はいきなり始めるというところがあって、この時代のひとつの特徴となっている。有名なデカルトの『省察』は、一生に一度、信じていたことのすべてを根こそぎくつがえしてみよう、と始まる。スピノザの『エチカ』は何の断りもなくいきなり定義と公理で始め、ほんの数ページで「神」の存在に到達してしまう。ホッブズはホッブズで、国家論の前にまずは物体論だと言ってなぜか「計算すなわち論理」から始めるし、ライプニッツは、これもいきなり誰も聞いたことのない「モナド」の話を始める。何を言い出すのだこの人は、というところが、みなまことに面白い。
上野修『哲学者たちのワンダーランド』p9
哲学に興味を持っているの、自分の中にも無意識に根付いている、西洋からの視点・西洋の価値観などを相対化するためとか、真面目な理由も勿論あるが、「頭いい人が考えること、面白すぎん???」というノリもだいぶある。その欲がかなり満たされそうな本。
特に第二部のスピノザ、「この現実は実は神そのものだった――。いきなりそういうぶっ飛んだ話になってしまって恐縮である。しかしまあスピノザの『エチカ』なので仕方がない。(同p84)」みたいな表現がどんどん出てくる。あと『エチカ』の説明、「この現実は実は神そのものだった」みたいな、ΩΩΩ<な、なんだってー!? と古のオタクリアクションしたくなるような点が多すぎる。
頭がくらくらしながらも、スーパーに立ち寄って、レタス巻き&いなり寿司の助六、湯通し生わかめ、ヤングコーンのピクルスなどを買って帰り、昼食。春の味覚であるわかめも相当美味しかったが、ヤングコーンのピクルス、美味すぎ。あと私、ヤングコーン自体が相当好きだと気づいた。実家で出てこない野菜だったので、ノーマークだった。
床に転がって同居LOVOTと戯れつつ、津崎良典『デカルトの憂鬱』を読み進め、うとうとする。手つかずだった『方法序説』の講義の宿題も、「ひとくち齧る」程度に着手する。
永野さん×ヴィレヴァン2回目、前回の提言へのアンサー衝撃のオチだったし、「むしゃくしゃしてたから追っかけたものです」「『漢』っていう逃げ方をする奴が多い」「池尻大橋に彼女がいるじゃん?」「吉田豪さんに言われたんですよ、『僕らは劇画・オバQなんだ』って」等、パンチライン多すぎて声上げて笑った。良い休日。