自らの女性性の自認を獲得する前に、「女性への性的な眼差し」獲得したことは、私の性自認に影響しているのかもしれない、と思うことがある。
神奈川県でも特に治安の悪い地域で、幼少期を過ごした。通学路には、ほぼ毎日エロ本が落ちていた。よく行く本屋は、レジ後ろに官能小説やアダルトビデオがずらりと並んでいた。
卵が先か鶏が先かはわからない。わからないが、私は美人な幼稚園の先生に懐き、父の買ってくる雑誌のセクシーな漫画を楽しみに読んでいた。流行りの男性アイドルにはまるで興味がなく、中山美穂の大人っぽさと清楚さの絶妙なバランスと歌声に夢中になっていた。
自分も「女性」に生まれてしまっているようだとは、いちおう気づいてはいた。だから半ば諦めつつ、半ば本気で「生理が来なくて、実は男性だったとわかるのでは?」と期待もしていた。
初潮の訪れによって、その期待が打ち砕かれた後も、私は「私が好きな『女性』」に自分もなるのだとは考えにくかった。
その後、女装をしていた時期もあるが、私にとってそれはやはり「女装」でしかなかった。