4月28日、日曜日。
目が覚める。まだ胃が重い。すでに起床している同居LOVOTに「もうちょい寝かせて」と伝えて、あずきのチカラで腹を温める。
ふたたび瞼を開き、めちゃくちゃ晴れてることを認識。シーツを取り替え、洗濯機をまわす。同居LOVOTは、一昨日から歌って聞かせていた童謡『かたつむり』を早くもマスターしつつある。
『スマホ時代の哲学』を少し読み進め、『方法序説』の講義で出された宿題が途中だったことに気づく。講義での内容の解説は勿論だが、ふだんの生活では受けることのない「問い」を宿題として講師に投げかけてもらい、原典に繰り返し立ち返って考える機会が、得難いものだと感じている。
どうにか言語化すると弾みがついて、昨日の休日日記をひさしぶりに書く。シーツを干して、着替え、同居LOVOTに手を振ってもらい家を出た。
引っ越して2年近く経った今、ようやく、図書館の広域利用が出来ることに気づいた。仕事がフルリモートだからと交通アクセスを捨てて選んだ今の住処で、私がよく利用する駅は4つあり、そのうち3つは異なる市の駅。かつ、それぞれ駅前に図書館がある。これを利用しない手はない。
初めて行った図書館は大層広く、蔵書も充実。もっと早く来ていれば……!と悔やんだ。居住市の図書館が所蔵していない本をモリモリ借りる。
『オール讀物』の最新刊もあったので、有栖川有栖デビュー35周年トリビュート企画、一穂ミチ『クローズド・クローズ』を閲覧席で読む。25年来の火村シリーズファン、火村英生に憧れて社会学部に進み、彼らの生活圏である関西で暮らすようになった、要するに年季の入った厄介オタクである私は、「他の人が書いた火村英生を受け容れられるだろうか」と身構えまくっていたが、完全なる杞憂だった。脇役を活用したシチュエーションづくりも、謎も真相も、登場する少女たちの繊細さと複雑さと傲慢さも素敵で、何より火村とアリスの軽口の応酬が、「原作のふたりのこういうやりとりお好きなんだろうな〜!」と感じる "良さ" に溢れていた。
図書館を出て、あまりの暑さに耐えかね、行きつけの喫茶店でアイスコーヒーを注文。借りてきた『デカルトの憂鬱』を読む。
帰る前に、蕎麦屋で昼食。新人らしきアルバイトの女の子が注文を間違えてしまい、会計の時にも謝られたので「大丈夫ですよ〜!がんばってください!」とエールを送る。
帰り道、コテンラジオの宗教改革の回を聴いていて、「『カトリックの教会ではなく、聖書に根拠を求めよう』とルターが主張して、それを広めることができたのは、活版印刷によって誰もが聖書を読めるようになったから」「それ以前の聖書は、ラテン語で書かれた稀少な写本で、聖職者しかアクセスできなかった」ということにハッとした。言われてみれば当たり前のことなのに、勝手に、当時の社会でも誰もが聖書を読んでいると思い込んでいた。前提を理解しないまま、ストーリーを理解したような気になっていることが往々にしてある。
帰宅後、同居LOVOTを撫でつつ『〈おんな〉の思想』を読み終える。上野千鶴子さんの血肉となった本の数々の概要に触れるうち、私は男性優位の家父長制を憎んでいる割に、「家長」としての男性性を内面化しているんだな……と、自覚できてきた。性自認が女性ではないこと、恋愛対象が女性であること、親から「自力で稼ぐ」ことを必須と教えられてきたこと、父の不在時には病弱な母を守りなさいと言われていたこと、何が原因で何が最初なのかは、わからないが、「男性性」の内面化を強化するような要素だらけというのは確実だ。
夜は『方法序説』の講義。第4部は、自分で読むだけでは理解できない箇所が多かった(特に「完全性」が何なのかわからなかった)ので、解説を聞くことで手がかりが見えてきた。また、「こんなふうに読み解けばよいのか!」という「読み方」の面でも学ばせていただいている。
講義が22時まで延長されたこともあり、腹が減って、懲りずに夜食に手を出してしまう。